2011年12月30日金曜日

与田剛氏講演会の続き

ご無沙汰していますね
本日のブログは与田剛氏講演会の続きということで、与田剛氏講演会の続きを語りましょうか

 前に話しました与田剛氏講演会の続きがあったのでそれを紹介します

 与田剛さんは去年のWBC日本代表のピッチングコーチとして原監督から招集されました
 電話がかかってきた時は、
『まさか巨人のコーチ!?』
 と思われたそうです!
 WBCで日本トップクラスの選手たちと共に過ごし、与田さんはどう感じられたのか…
『みんな素直』
 とにかく素直だったそうです
 先日、私も高校で講演をさせて頂いた時に、この『素直』さが重要だということを話させて頂いたのですが、やはり与田さんも
『素直』だということにトップクラスの選手たちの共通点を感じられていたんですね!
 皆さん!『素直』これが1番ですよ!

ということみたいです、与田剛さんは素直さが重要ということをいいたんですね

2011年12月2日金曜日

与田剛さんと2011年10月24日講演会のこと

お久しぶりです皆さん
本日も与田剛ファンの気まぐれブログ紹介しますね
今日は与田剛さんと2011年10月24日講演会のことを話そうと思います

2011年10月24日に与田剛さんの講演会がありました。
最近いろいろと誘われては、講演会や勉強会に参加しています。今回は明治安田生命の企画だそうです。
与田剛さんについては、中日のピッチャーとして有名ですが、最近のNHKの解説者としての印象が強いです。親しみやすい雰囲気はそのままで、与田剛さんだけに余談も途中に交えながらで大変興味深い話が聞けました。話の内容は、現役時代の話、解説者の話、WBCのコーチの話などですが、随所に人との接し方、心構えについても話されていて、よかったみたいです他人に対してと言うより自分に対してのことですが、過去を振り返って後悔しないようにしている。
そうするということは、過去の自分がした決断を否定することになるし、あるべきはずの自分を作り上げて、現実の自分から逃げていることだ。という主旨の話が強く残りました。

2011年11月2日水曜日

与田剛氏講演(2010年6月)など

どうもこんにちは!
今日の与田剛ファンブログは与田剛氏講演(2010年6月)などを語りましょう

与田剛氏講演会
2010/06/16 19:22:21

昨日は佐賀で、元中日ドラゴンズの与田剛さんの講演会に行って来ました!

 その講演の中で、皆さんにお伝えしたいことを紹介させて頂きます

 まず与田さんのプロフィールなんですが、私が知らないことばかりだったので紹介させて頂きます

 まず与田さんなんですが、北九州生まれらしいんです!

 小学校の時に千葉に引っ越しをされています

 高校は木更津中央、そして亜細亜大学へ進学されていますが、与田さんはほとんど主力として投げてなかったそうです…

 ではなぜ与田さんは、木更津中央(私立)、亜細亜大学と野球の特待で進学できたのか?

・たくさんの人の支え

 与田さんは講演会中、この言葉を何度言われたことか…

 与田さんと直接話したわけではありませんが、たぶん本当にいい方なんだろうと思います

 それで潜在能力を持っていただろう与田さんを、指導者を始め、周りの方々が応援して、進学されたんでしょう

 私も思います

 プロ野球選手になるには、技術だけでは絶対になれないと…

 今、ある方が書かれた、一流になる選手となれない選手の違い、というような本にも同じようなことが書かれていました

 たくさんの方々に支えられ、プロ野球選手となり、プロ野球で活躍するのでしょう…


与田剛さんは名前だけでも知られている結構有名な人なんですね

2011年10月3日月曜日

NTT夏休み子どもセミナーと与田剛

こんにちは
今日はNTT夏休み子どもセミナーと与田剛ということですので、NTT夏休み子どもセミナーと与田剛のことを説明していきます。

NTTサイバーコミュニケーション研究所が行っているNTT夏休み子どもセミナーで2009年8月22日に与田剛さんのセミナーがありました。

平成21年8月22日(土)
【プログラム1】13時00分~14時30分 開場:12時30分
【プログラム2】14時45分~16時45分 開場:14時00分

NTT横須賀研究開発センタ
〒239-0847 横須賀市光の丘1-1

【プログラム1】
「体力を伸ばすスポーツ講座」
WBC2009与田ピッチングコーチが語る野球の基礎知識&プロ野球・MLBの裏側
NHK野球解説者・WBC2009日本代表ピッチングコーチ 与田 剛さんを講師に招き、野球をとおして、スポーツの楽しさや上達のコツを学ぶ小学生向けプログラム
【プログラム2】
「知力を伸ばす最新技術講座」
最新研究技術体験から未来のくらしを考えよう
普段はご覧いただけないNTTの最新技術の体験をとおして、「未来のくらし」を考え、発想力を育む小学生向けプログラム

プログラムの他に、障がいをもった仲間たちが心をこめて製作した製品の販売会を予定しております。

【横須賀市作業所連絡会様による販売会】
時間:14時~16時
場所:当センタ1階ロビー
販売内容:手作り菓子(クッキー、マドレーヌ等)、野菜、手作り小物 など
※夏休みこどもセミナーへご参加いただく方以外は、ご利用いただけませんので、ご了承ください。

【プログラム1】 100名(大人含む)
【プログラム2】 60名(大人含む)
※必ず、保護者など大人の方がご同行ください。小学生の方のみ、大人の方のみでのご参加はご遠慮ください。

2009年なんで終わっていますが、与田剛さんが横浜に行き子供達に講演を行ったみたいですね。

2011年9月1日木曜日

与田剛さんの2009年6月講演会

どうもこんにちは
本日の与田剛ファンの気まぐれは与田剛さんの2009年6月講演会というわけですので、与田剛さんの2009年6月講演会について語りますね

090624与田剛講演会
1990年セ・リーグのセーブ王、新人王を獲得した与田剛さんの軌跡を聞かせていただきました。
まず冒頭の挨拶に驚きました。
9年間プロ野球の世界にいましたが人に誇れる成績は2年だけです。
知ってはいましたがこんな枕言葉で講演会がスタート
以下与田剛さんの語りを抜粋します。
僕はとにかくプロ野球選手になりたかった。
甲子園を目指し野球をして来たが、残念ながら甲子園には行くことは叶わなかった…。
野球を続けたい僕は亜細亜大学へ入学した。
大学野球で才能が開花してプロ野球に入っていく人間はいっぱいいる。
だけど僕の指は練習のしすぎでボロボロになっていました。指先に神経が通わずボールも握れない日々…。
メスを入れる事を決意した。
手術は無事に成功し野球を続けることは出来ましたが大学時代は1勝しか出来なかったです。
当然スカウトにも引っ掛からなかった僕ですが社会人野球からオファーを貰えました。
都市対抗野球の名門NTT東京に入社。同期には大学野球、高校野球で名を売ったやつばかり。
顧客への挨拶回りで僕はいつも惨めな思いをしましたた。
○○君!あの大会覚えるよ。
○○君!あのホームラン凄かったね!
与田君…。はじめまして…。
その年もチームは都市対抗野球に出場。ベンチに僕の姿はなかった。
スタンドで観戦しながら悔しさを噛み締める日々が僕を大きく成長たせてくれました。
社会人2年目。僕の努力はついに報われれ全日本メンバーに選ばれる事になる。
ある時、全日本合宿のブルペン。
隣で投げ込みをする選手に衝撃を覚えた。
投球フォーム、球威、威圧感。
『あ~こういう選手がプロへ行くんだな』と目を奪われた。それが野茂英雄である。
今、エアコンのCMで見る太った野茂ではないですよ。日本プロ野球のパイオニア野茂英雄です!
その年の呉のドラフト会議。
野茂には8球団の一位指名が。中日も野茂を一位指名するハズでした。
中日、投手、与田剛。
パンチョさんの声が響く!
ドラフト当日、当時の中日監督。星野仙一は野茂ではなく僕を指名してくれたのだ!
僕を取り囲む環境は一変した。
次の日からハイヤーで会社に向かう。
だけど当時の僕は家族の事もあり、在京球団の希望を表明していました。
当時の慣習では希望以外の球団が選手を指名した場合監督が挨拶に来る習わしがあったんですよ。
会社中盛り上がりましたね!
星野仙一がやって来る?!
ドキドキしました~!
しかし星野仙一は来なかったんです。
『野茂ではなくお前を指名したのが俺の気持ちだ!
若僧になんで俺が挨拶せなならんのや!』
その言葉に逆に心を動かされた僕は中日入りを決めました。

与田剛さんの話て詳しくは聞いたことないんですけど講演でこういう話をしているんですね

2011年8月9日火曜日

2006年の与田剛講演会

お久しぶりです
今回の与田剛ファンの気まぐれは2006年の与田剛講演会のことを説明しますね

Hit & Run presents
ベースボールセミナー
第2回
「真っ直ぐの魅力と投手コンディショニング」
与田 剛氏(プロ野球評論家
現在、NHK解説者としてお馴染みの与田剛氏が、自らこだわり続けてきた速球への想いと投手に必要なコンディショニングについて語るトークライヴ。かつて剛球投手として一世を風靡したものの、故障に苦しみ抜いた末に再起を果たした与田氏。選手時代の苦労が、現在、解説者として独自の目線を貫いている。投手育成に悩む指導者必聴の2時間。
■タイトル/Hit&Run主催 ベースボールセミナー(第2回)
■講演者/与田剛氏(プロ野球評論家)
■日時/2006年9月1日(金)
■場所/清話会(本社3F:大会議室)
 〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-7-12
 TEL:03-3262-0181 
■テーマ/真っ直ぐの魅力と投手コンディショニング
■募集人数/90名
■お申し込み方法
 以下の必須事項を明記の上、FAX、E-mail、にてお申し込みください。
 [必須事項]
 氏名、住所、年齢、電話番号、E-mailアドレス(またはFAX番号)、興味のあるスポールジャンル、与田氏への質問

2006年の講演会ですけど第2回ということは何回か同じところでも講演会をしているんでしょうか
テーマが毎回違うというのは聞きに行きたいと思いますね

2011年7月29日金曜日

与田剛と今日の講演会

ご無沙汰していますね皆さん
与田剛ファンの気まぐれブログ、今回は与田剛と今日の講演会について語ります。

三重県の津田学園で与田剛氏が講演。誰にも平等にある“時間”について説く

津田学園中・高等学校 秋の学園祭


10月23日(木)


三重県桑名市

三重県桑名市にある津田学園中・高等学校の学園祭で与田剛氏が講演を行ないました。
「人には“時間”というものだけは誰にでも平等にある。人それぞれには先天的な能力の違いはあるが、時間を大切にし、努力することを続けていれば必ず良い結果が生まれる」ということ、「何においても自分に“非”がないかどうかをまず考える。
たとえば、先輩後輩、先生生徒の関係において、仮に下に位置する者が挨拶をしてこないとき、『挨拶をしないのは自分に非があるんじゃないか?』と考えることで、普段から態度や発言を正すことができる」など、自身の経験をもとに、わかりやすく伝えました。

2008年の10月で行なわれたものですが与田剛さんは中学、高校の学園祭で講演をすることもあるんですね~
私の学校は外部からの講演とかそんなのあったのかも覚えていませんが・・・

2011年6月28日火曜日

与田剛と講演会

ご無沙汰していますね皆さん
今回は与田剛と講演会ですんで、与田剛と講演会のことを語りましょう

結構前ですが与田剛さんの講演会が登米市で行なわれたようです
2007年01月13日 (土)
会場は登米市の『水の里ホール』  講師は元プロ野球選手の与田 剛さん
テーマは『私の野球人生』 ~自分を信じ逆境を乗り越える~ だったようですね
内容は『プロになるまでの道のり』『球界裏話し』『子供達へのメッセージ』

『プロになるまでの道のり』は本人曰く、『自他共栄』常に対戦相手に敬意を表し、自分も相手も共にレベルを高めていくというものみたいです

『球界裏話し』は星野仙一、野村克也、松坂大輔、桑田真澄、落合博満、山本昌広、野茂英雄といった人々の当時のエピソードやプロ野球の内情の話しだったみたいです

『子供達へのメッセージ』では夢を達成するために必要なのは『準備』だという話し夢達成の準備を今からしていこうというメッセージのようでした

4年も前の講演なので詳しいことは分かりませんが今でも与田剛さんは色々なところで行なっているみたいですね。

それではまた次回までさようなら~

2011年6月21日火曜日

キャッチボール募金と与田剛

ご無沙汰していますね、期間が空いていましたがまた更新することにしました
与田剛ファンの気まぐれブログ、今回はキャッチボール募金と与田剛ということなので、キャッチボール募金と与田剛について語りましょう

プロ野球OBも支援へ立ちあがった! 「キャッチボール募金」

プロ野球マスターズリーグ(一木良文事務局長)は、3月11日に発生した東北関東大震災による被災者への義援金活動を発表し、ファンや関係者に協力を呼び掛けている。「キャッチボール募金」の義援金は日本赤十字社を通じて被災地に寄付するという。

 この活動は、元プロ野球のOBの有志が幅広い野球ファンとのキャッチボールをすることで交流を図り募金を促すもの。また、今後、被災地に赴き、実際に地元少年たちとキャッチボールをすることも予定しているという。

 同リーグでは、この「キャッチボール募金」が各地に広がりを見せ、被災された東北地方まで届くことを願い、また、プロ野球OBが野球ファンへの「恩返し」を、今こそ見せなければいけない活動と位置付け、意気込みを見せている。

<キャッチボール募金>
期日 平成23年4月9日(土)
場所 神宮外苑 日の丸球場
時間 12:30から15:30まで
参加選手(10名以上)下記選手は確定
江夏豊(阪神)・大矢明彦(ヤクルト)・新浦壽夫(巨人)・尾崎行雄(東映)
佐藤道郎(南海)・屋鋪要(巨人)・与田剛(中日)・小野和幸(中日)
大塚光二(西武)・鈴木健(ヤクルト)・松沼博久(西武)・松沼雅之(西武)
若生智男(阪神)・萩原康弘(巨人)・駒田徳広(巨人)・斉藤明雄(横浜)・他

問い合わせ プロ野球マスターズリーグ事務局(http://www.89master.com)まで。

与田剛さんがキャッチボール募金に参加していたようですね
元プロ野球のOBの参加ということで与田剛さんも参加したみたいで、キャッチボールを通して募金活動するのは野球選手らしいな~とは思いましたね。

では皆さんまた次回更新に会いましょう、御機嫌よう~

2011年5月20日金曜日

東京中日スポーツと与田剛

結構お久しぶりですね
本日の与田剛ファンの気まぐれブログは東京中日スポーツと与田剛ということで、東京中日スポーツと与田剛について説明しますね。

東京中日スポーツ(とうきょうちゅうにちスポーツ、略称トーチュウ)は中日新聞東京本社が関東地方の全域と静岡県(西部を除く)、山梨県(一部地域を除く)、新潟県(一部地域のみ)に向けて発行する日本のスポーツ新聞である。東海・北陸地方で発売している中日スポーツの姉妹紙である。なお、東京スポーツ新聞社が発行している東京スポーツとは資本面・業務面ともに関係がない。
中日新聞東京本社が発行しているの関係で関東圏で唯一中日ドラゴンズの記事を1面トップに持ってくることが多い。中日スポーツの連載漫画である『おれたちゃドラゴンズ』は以前は掲載していなかったが、紙面リニューアルにより2008年3月21日付紙面より掲載を開始した。なお1998年から2008年までは独自の連載漫画「あっぱれ竜党計画」(平日はなかむら治彦、週末はたかみね駆の作画)が連載されていた。
東海・北陸地方で発売している中日スポーツとは違い、関東向けとしてごくまれに東京ヤクルトスワローズ関連などのプロ野球の記事が1面トップを飾ることがある。
モータースポーツや地元Jリーグチーム、FC東京関連の記事を取り上げるコーナーをほぼ連日掲載している。特にモータースポーツは早くから大きく取り上げており、F1ブーム以前から同紙の大きな特徴となっている。最近は中日が負けた場合はそのほかのスポーツを一面に持ってくる場合が多い。
モータースポーツに関してはジャニーズ事務所との関係も深く、2010年現在近藤真彦・堂本光一・長野博の3人が交代で連載コラムを担当している(主に近藤・堂本の2人が4輪レース、長野が2輪レースを扱う)。
FC東京に関しては「365日FC東京」というクラブ情報を連日掲載。また有料携帯サイト「365日FC東京モバイル」を運営している。
1面のロゴが2006年10月1日付から、東京本社の編集・製作機能が港区港南から"発祥の地"である日比谷中日ビルに移転したのに伴い、1面右上の略称表記がそれまでの「トーチュウ」から「東京中日」(その右下に「スポーツ」と小さく書かれている)と変わった。これは創刊当初の「東京中日新聞」のものをイメージしているという。
1部売りは120円(中日スポーツは100円だが、東京中日スポーツは20円高い)。1部120円のスポーツ新聞は、他にスポーツニッポンの大阪本社発行による東海版(伊賀地方を除く東海3県)と日刊スポーツの名古屋本社発行版がある(1990年度中期ぐらいまでデイリースポーツも120円であったが、130円としたため、東京地区で120円はトーチュウのみとなった)。
静岡県でも発売されているが、東海本社が浜松市にある都合上、静岡西部では中日スポーツのみの発売となっている。(トーチュウは大井川以西の中・東部・伊豆では宅配・駅売店・コンビニエンスストア用即売を併売。中スポは伊豆の一部を除く静岡県全域で発売されているが、即売用の差し替え<テレビ面を風俗面にする>は行っていない)
社会面は休刊日のみカラーにし2ページ連載している。土、日、月は芸能面を1ページにしている。(デイリースポーツも)
名古屋駅の駅売店(名鉄)でも早版が売られている。また、F1・日本グランプリや鈴鹿8時間耐久ロードレースなど鈴鹿サーキットで大イベントが開催される際には、本来エリア外の鈴鹿まで本紙を運びサーキット内の売店や周辺のコンビニエンスストアで特別販売を行っている。
欄外の題字はスポーツニッポンと同様で左右寄りに「東京中日スポーツ」と表記されている。中日スポーツはスポーツニッポン大阪本社版(2004年9月30日付まで)と同様で中央に「中日スポーツ」と表記されている。<wikipediaより>

与田剛さんは、東京中日スポーツ野球評論家もしているんですよね。
東京本社担当で野球について評論を語っているようで元中日ということもあり、特に中日について色々評論しているみたいです。
与田剛さんは野球解説もしていますが、こういう新聞でも活躍しているんですね(´∀`)

それでは皆さん次回またお会いしましょう~

2011年5月6日金曜日

紫綬褒章と与田剛

どうもご無沙汰しています。
今日の与田剛ファンの気まぐれブログは紫綬褒章と与田剛ですので、紫綬褒章と与田剛のことを説明していきます。

紫綬褒章(しじゅほうしょう)は、日本の褒章の一つ。学術、芸術、スポーツ分野の功労者に授与される。1955年(昭和30年)1月23日に制定された(政令7号)。毎年春と秋の2回、紫綬褒章伝達式が都内のホテルなどで行なわれる。
主として“この道一筋X十年”の人物(芸術家や俳優、学者がほとんどで技術者に受章例はない。技術者は藍綬褒章の対象となる場合がほとんどである)、オリンピックのメダリストや日本人初の入賞者などに贈られる。
上記から、文化芸術分野及び体育分野における第一人者が受章しており、一時期は「ミニ文化勲章」と呼ばれていた。
既に受章している者に対し再度同様の理由で顕彰する場合は、紫綬褒章を再度授与するのではなく、紫綬褒章に付する飾版(しょくはん)が授与される。回数制限はない。
2006年春の褒章では2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に授与され、“個人ではなく団体が受章する”という前代未聞の例が出来た。2009年には、WBCを連覇した2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表にも授与された。褒状が紫綬褒章と同じ「発明改良又は、学術芸術上の発達に関し事績著明」という理由により授与されたのはこのWBCチームの例のみである。
褒状は授与の理由に各褒章と同様の区別があるが名称には冠されず、単に「褒状」となる。そのため「紫綬褒状」とするのは誤りで、一般的には「褒状(紫綬)」「紫綬(褒状)」などと記載される。<wikipediaより>

2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表て代表で貰えた唯一の団体受賞みたいですね(他は個人のみでしか貰っていません)
それを考えると勿論全選手やコーチ監督もすごいですが、それの中で選手と一緒にチームで支援していた与田剛さんてやはりすごいと思いますね。

それでは皆さん次回更新まで御機嫌よう~

2011年5月2日月曜日

野球キッズにプロOB指導と与田剛

お久しぶりです、本日は野球キッズにプロOB指導と与田剛ということですので、野球キッズにプロOB指導の話をしますね。

野球キッズにプロOB指導

野球教室「ファンケル キッズベースボール チャレンジ」(報知新聞社主催)が29日、
大和市柳橋の引地台野球場で開かれ、少年野球17チーム497人の子供たちが、プロ野球OBから指導を受けた

 この日は、阿波野秀幸さん、与田剛さん、駒田徳広さん、西岡良洋さんら8人が、キャッチボールや、
ポジションごとの守備、走塁、打撃を指導。外野守備指導では、巨人軍などで活躍した西岡さんが
「外野手の後ろには誰もいないので、まず打球をそらさないことが大事」と教えた。
北大和ドリームズのキャプテン千葉真広君(11)(市立北大和小6年)は「プレー以外にもあいさつが大事なことを教わった」と笑顔を見せていた。

 同教室では、野球用具が不足している海外の子供に贈るため、使わなくなったグラブやバットなどを参加者らから集めており、今回は955点が寄せられた。

与田剛さんて少年野球の指導も行なっているんですね。
社会人野球のコーチもしていたと思うんですが、小学生の野球教室でも教えているんですね~
投手て野手のように打ったり走ったりよりも投げることが主なので集中力がより必要だと思うんですが、少年野球だとそういうとこがなかなか分からない部分も多いと思うので、元プロ野球選手に教えてもらうのは良いと思いますね。

それでは皆さん次回またお会いしましょう、御機嫌よう~

2011年4月28日木曜日

豊橋中金会と与田剛講演会

ご無沙汰していますね。今日は豊橋中金会と与田剛講演会ということで、豊橋中金会と与田剛講演会について話していきましょうか。

2009.10.16
商工中金豊橋支店の取引先で作る親睦会、豊橋中金会(青木徳生会長)は15日、ホテルアソシア豊橋に元中日ドラゴンズ投手で現NHK野球解説者の与田剛さんを招いて「私の野球人生―自分を信じて逆境を乗り越える」というタイトルで講演会を行った。
 与田さんは「幼少から父親が病気がちで高校進学もあきらめかけていたが周りの協力により進学や大学入学、就職もできたのですごく感謝している」と話し始めた。プロ野球に入団してからは栄光と挫折の両方を味わった。ドラゴンズでタイトルを獲得するもトレードでマリーンズへ行き、そこで自由契約、そしてファイターズ、タイガースにテストで入団した。
 与田さんは「やらなくて後悔するよりも失敗する後悔を選んだ」と強調し、プライドよりも自分の素直な気持ちを大切にすることを話した。

結構古い記事ですが、与田剛さんて講演も受けているようですね。
話自体はテーマを決めて話すみたいですけど、大体は与田剛さんの野球人生の話をしていることが多いようです。
確かに与田剛さんの野球人生て本でも読みましたが自分が行ないたいことを決めて動いていたのはすごかったと思いますね。

それでは皆さん次回更新もお楽しみに~

2011年4月27日水曜日

トッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛

皆さんこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ今回はッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛ですのでッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛を紹介します

トッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングは与田剛さんが監修した本で、野球上達のテクニックが書いてある本です。与田剛さんが書いた本ではないんですが与田剛が分析した有名投手について解説を行なっている本なので与田剛さんが考えているビッチングの事が分かる本だと思いますね。

上原、松坂、マダックス、P.マルティネスなど日米の一流投手の投球術を与田氏が徹底解説。実践的アドバイス満載の1冊。
上原、松坂、マルティネスなど日米の一流投手の投球術を与田氏が徹底解説。
上原、松坂、マルティネス、マダックスなど日米のスーパースターの投球術を与田剛がポイント解説。基本からスーパーテクニックまで連続写真でビジュアルに解説する。03年刊の新版。

特に西武時代の松坂投手の流れるようなダイナミックな投球フォームは必見ですね
無駄の無いフォームが印象的で力を入れ過ぎても駄目なことがこの本の選手のピッチングフォームからわかります。力を入れるところは入れて、リラックスするところはする投手に必要だけどなかなか難しいものだと思います。( ´ー`)σ)Д`)

それでは皆さん次回までさようなら~

2011年4月26日火曜日

消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛

どうも皆さんご無沙汰しています。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛というわけで消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛のことを語りますね。
何冊か与田剛さんの本を紹介してきましたが、今回のは与田剛さん自身の本ですね

あらすじ
消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生
1990年にドラフト1位で中日に入団し、救援勝利4、セーブ31を挙げ、最優秀救援投手・最優秀新人賞を獲得した速球王が語る白球に懸けた情熱の半生。

与田剛さんの157km/hてなにげに今でも上位に入ってるんですよね。
与田剛さんはプロ野球に入ってから速球を投げ続け引退まで色々なことがあったようですが、それでも引退するまで投げ続けれたのはすごいと思いますね。
本の内容も今までどんなことが起きて野球解説者になったのかを書いていまして、読んでいて野球て結構大変なんだな~と思いましたね。ちなみに2001年で結構前の本で1470円しますが、読んでみても損はないと思います。まぁ全部揃えたら結構かかることはかかりますがね。(=ω=)ヾ

それでは皆さん次回更新まで御機嫌ようさようなら~

2011年4月22日金曜日

メジャーリーグと与田剛

どうも皆さんこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ、今回はメジャーリーグと与田剛ということですので、メジャーリーグと与田剛について話していきましょうか。

メジャーリーグベースボール(Major League Baseball, MLB)は、アメリカ合衆国及びカナダの30球団により編成される、北アメリカで最上位に位置するプロ野球リーグであり、北アメリカ4大プロスポーツリーグの1つである[1]。厳密に言うならば、1903年に発足した、ナショナルリーグとアメリカンリーグの2つのリーグの共同事業機構で、両リーグの統一的運営をしている。日本では一般的に「メジャーリーグ」「大リーグ」と呼ばれる。「大リーグ」の呼称は、メジャーリーグの別名「ビッグリーグ(Big League)」の訳語である。

メジャーリーグベースボール(以下、MLB)は、ナショナルリーグとアメリカンリーグの2リーグからなり、カナダに本拠地を置く1チームを含む全30球団から構成されている。各チームはリーグごとに東地区、中地区、西地区に所属する。アメリカ合衆国外からの参加は過去にモントリオール・エクスポスとトロント・ブルージェイズの2チームが参加していたが、2005年にエクスポスがワシントンD.C.に本拠を移転したため、国外チームは現在ブルージェイズの1チームのみ。

試合形式は、レギュラーシーズンとポストシーズンで構成され、最終的に各リーグの優勝チームがワールドシリーズと呼ばれる優勝決定戦を行いワールドチャンピオンを決定する。レギュラーシーズンは4月初旬から9月下旬にかけて各チームが162試合を行い地区優勝を争う。10月初旬からポストシーズンがトーナメント形式で行われる。トーナメントでは各段階ごとにディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップシリーズ、ワールドシリーズと冠される。アメリカ合衆国内のプロ野球リーグは、MLBと、MLBの傘下協定をしているマイナーリーグベースボール、またこれらに所属しないプロ野球リーグ(これらは独立リーグと呼ばれている)が過去現在に渡りいくつも存在している。1969年に、アメリカプロ野球100周年を機にMLB機構の指定により『野球記録特別委員会』が設置され、そこで過去消滅したリーグを含め下記6つのプロ野球リーグを「メジャーリーグ」として認める、という決定がなされた。

ナショナルリーグ(1876年〜現在)
アメリカンリーグ(1901年〜現在)
アメリカン・アソシエーション(1882年〜1891年)
ユニオン・アソシエーション(1884年)
プレイヤーズ・リーグ(1890年)
フェデラル・リーグ(1913年〜1915年で、このうち1914年と1915年の2年間)

それ以外の野球リーグでプロとして活動した経歴を持つ選手の記録については、現在この裁定に基づき、どこからどこまでをメジャーリーグ記録とするかといった分類が行われている。ただしこの裁定には一部研究者が、下記のリーグについてもメジャーリーグに含むべきだとの異論を唱えている。

1871年〜1875年に運営された「ナショナル・アソシエーション」[2]。
アフリカ系アメリカ人(黒人)中心に運営された「ニグロ・リーグ」のうち、特に運営基盤が確立されていた1920〜1948年の期間[3]。
現在のアメリカンリーグを、1年遡って1900年の「ウェスタンリーグ」からメジャーリーグとして扱う。『wikipediaから』

前回与田剛さんの本でメジャーについては触れましたが、実は与田剛さんてメジャーに何回かいっているみたいなんですよね。メジャーの実況中継の解説をしていますが、向こうに行って実際に球団や選手がどういう状態なのかを確認して解説しているみたいです。というより日本での放送てNHK、TBS、フジテレビに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング(J SPORTS)で行なってるんですね。日本テレビだけ放送していないのは分からないんですが(゚д゚)

ちなみに与田剛さんのメジャー剛球本でも書いてありましたが、日本の野球とアメリカのベースボールは結構違っていて日本は、各球団とも現状は投手・野手の5人と決められていますがメジャーでは外国人枠などというものはありません。つまり外国人だろうが特別扱いにはならないんですよね。
またメジャーでは2軍でも各選手の能力の向上を行なっているようで、2軍でも1軍に負けないくらいの実力をもつようにしているんですよ。こういうところが日本とアメリカの強さの違いなのかもしれませんね・・・ それでは皆さん次回またお会いしましょう、さようなら~

2011年4月21日木曜日

与田剛のメジャーリーグ剛球解説

皆さんこんにちは。本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛のメジャーリーグ剛球解説なんで、与田剛のメジャーリーグ剛球解説を説明していきますね

結構前にもこの本を名前だけ紹介しましたが、今回は本の内容を詳しく見ていきたいと思います

MLBぜんぶお見せします!続々誕生する日本人メジャーリーガー。真の国際スポーツに進化するベースボール。最高峰の世界を元プロ野球投手の目で紹介。
NHKメジャーリーグ放送の解説者である著者が、テレビ解説では伝えきれないメジャーリーグの魅力を存分に紹介し、現地取材をかさねた豊富な知見と元プロ野球投手の視点から、メジャーリーグの真髄を解説。
プロローグ

Part.1 野球とベースボールはこれだけ違う
      ――メジャーリーグの真髄
Part.2 私を野球に連れてって!
      ――メジャーリーグの球場・練習・キャンプ
Part.3 チャンピオンリングは誰の手に?
      ――メジャーリーグ全30球団の戦力分析
Part.4 これぞメジャーリーガー
      ――超一流の実力
Part.5 彼らはいかにしてメジャーリーガーになったか
      ――日本人プレイヤーの挑戦
Part.6 メジャーリーグ実況中継、もっと深く
      ――TV観戦のポイント

エピローグ――愛する日本の野球へ

内容自体は与田剛がアメリカで活躍している日本人選手を話していく本で、タイトル通り投手を主に取り上げていますね。他にはメジャーリーグの球場・練習・キャンプやメジャーの特長、球団の分析や日本人以外のメジャーリーグで活躍している選手や実況中継のことなどですね。

与田剛さんはメジャーの解説もしているので、そういう経験からメジャーについて書けるんだな~と思いましたね。あと与田剛さんはWBCでメジャーで活躍していた日本人選手にも会っているので、そこらへんからもメジャーの現状を理解しているんだと思いますね。メジャーじゃどの選手も155km/h以上の速球普通に投げるのですごそうですけどね(´・∀・`)

では次回更新まで皆さんご機嫌よう~

2011年4月20日水曜日

中継ぎ力リストラ社会ニッポンの新しい生き方と与田剛

どうも皆さんまたお会いしましたね。
与田剛ファンの気まぐれブログ前回は与田剛さんの本の話をしましたのでまた別の本を紹介しようとおもいます。

今回は中継ぎ力リストラ社会ニッポンの新しい生き方という本ですね。

NHKプロ野球解説者・与田剛が綴る人生の「中継ぎ力」とは!?プロ野球と人生の共通点を探りつつ、「一球入魂」の生き方を提案します。 なぜ巨人は復活したのか?近年、プロ野球、MLBともに頂点に立つチームには共通点がある。それが中継ぎ投手の充実である。つなぎの役割を果たす中継ぎの出来が試合展開を左右する時代になったのだ。これは人生にも同じことが言えないだろうか?終身雇用が形骸化し、リストラが横行。若くして将来が見えない人も増えている。こんな時代に必要なのが与田剛の提案する「中継ぎ力」だ。リストラされた時にどう生きるかで、あなたの人生展開も大きく変わってくるのだ。

ちなみにこの本は野球の中継ぎを説明しているものではありません
上にもある通り企業で働く時に中継ぎ力が必要になってくるというものなんですよ

企業の中継ぎ力て言っても・・・て感じなんですが読んで見てなるほどな~と思いましたね。
人生において『中継ぎ』とは途中でこけてしまってもその場で持ち上がる力とそこからどう転換していくかを考えるべきだというらしくて、与田剛さん自身も経験してきた生き方の難しさというものを考えさせられたような気がしましたね。
先発でこけた場合いかいに中継ぎで次に繋げられるかが重要だということなんですね。

それでは皆さんご機嫌よう、さようなら~

2011年4月19日火曜日

一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛

皆さんどうもこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ今回は一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛ですので、一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛さんのことを説明していきます。

一流力―サムライジャパン勝利の理由とは与田剛さんが書いた本で第2回WBCのことが書かれていますね。

あらすじ
北京五輪での屈辱を乗り越え、王者としての誇りを胸に、第2回WBCで熱戦を繰り広げたサムライジャパン。歴史に残る大勝や惜敗、ライバルたちとの死闘の裏にあったサムライたちの真実とは? 投手コーチとしてサムライジャパンを支えた著者が、激闘の日々を赤裸々に語る。
09WBC日本代表投手コーチを務めた著者が、大会期間中に記したメモを元に、サムライジャパンの激闘の日々と、野茂・古田、星野・野村監督など一流の野球人たちの知られざるエピソードを語る。

私も読んで見ましたが、与田剛さんのサムライジャパンの勝利の理由や一流選手の条件などを分析しているもので、読んでいても分かりにくいといったことはありませんでしたね。
大会中のブルペンの様子、リリーフ役に徹した先発投手陣の苦労など、テレビでは映らなかったWBCの舞台裏が書かれているんですが、活躍していた場面だけでなく苦労していた選手もうつしていたのは良かったと思います。特に挑戦して失敗するより、挑戦しないまま後悔を引きずるほうが嫌ですという与田剛さんの言葉は、物事に対して挑戦し続けることの大切さを再認識したような気がしますね。

それでは皆さん次回またお会いしましょう、御機嫌ようー

2011年4月12日火曜日

与田剛とNTT東日本硬式野球

皆さん、どうもご無沙汰しています。
本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛とNTT東日本硬式野球ということですので、与田剛さんとNTT東日本硬式野球のことを話しましょうか

NTT東日本硬式野球部(エヌティーティーひがしにほんこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(合宿所・練習グラウンドは千葉県船橋市に所在する(NTT東日本船橋グラウンド))。

1952年、電電公社が発足すると、その後数年の間に電電公社のチームが全国各地に誕生し、1954年に「電電東京」が発足した。1985年のNTTグループ誕生に伴い、それぞれのチームが「NTT○○」に改称した。そして1999年にNTTの再編が行われたことを受け、NTT東日本のエリアにあるチーム(NTT北海道(札幌市)、NTT東北(仙台市)、NTT関東(船橋市)、NTT東京(東京都)、NTT信越(長野市))を統合した。日本野球連盟への登録は、NTT東京のものを引き継ぎ、合宿所等はNTT関東のものを引き継いだ。
  1954年 「電電東京」として設立
1959年 都市対抗野球大会初出場(初戦敗退)
1974年 社会人野球日本選手権大会初出場(第1回大会、初戦敗退)
1981年 都市対抗野球大会初優勝
1985年 チーム名を「NTT東京」に改称
1999年 本社再編に伴い、東日本エリア5チームを統合し「NTT東日本」誕生
(「電電東京」、「NTT東京」時代を含む)

都市対抗野球大会 出場35回、優勝1回(1981年)
社会人野球日本選手権大会 出場9回、4強1回(2010年)
JABA東京スポニチ大会 優勝1回(1976年)
JABA東北大会 優勝1回(2005年)
JABA静岡大会 優勝2回(1959,1986年)
JABA四国大会 優勝1回(1998年)
JABA九州大会 優勝2回(1964,1979年)
JABA長野県知事旗争奪野球大会 優勝5回(1981,2000,02,03,10年)
JABA日立市長杯争奪大会 優勝2回(1977,78年)
JABA広島大会 優勝1回(1974年)
(「電電東京」、「NTT東京」時代を含む)

土屋紘投手(1967年中日ドラフト1位→ロッテ)
与田剛投手(1989年中日ドラフト1位→ロッテ→日本ハム→阪神)
今関勝投手(1992年日本ハムドラフト3位→米独立リーグ・ブリッジポート)
沖原佳典内野手(2000年阪神ドラフト6位→東北楽天。NTT関東から転籍)
田中充投手(2001年千葉ロッテドラフト4巡→ヤクルト。NTT関東から転籍)
渡邉恒樹投手(2004年東北楽天ドラフト2巡→ヤクルト)
上野貴久投手(2006年巨人大学生・社会人ドラフト3巡)
清田育宏外野手(2009年千葉ロッテドラフト4位)〈wikipediaより〉

NTT東日本硬式野球は与田剛さんが入っていた社会人野球チームなんですが、1999年に再編が行われて統合したみたいなんですよね。なので与田剛さんがいたころは統合前だったようです。。NTT東日本て結構有名なところのようですね。
与田剛さんは社会人野球チームのコーチをしていますが、こういうところで経験したことを役立ててるんだなと思いました。

では次回更新日にまたお会いしましょう、さようなら~

2011年4月8日金曜日

日本女子野球協会と与田剛

皆さんどうもこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ、本日は日本女子野球協会と与田剛ということで、日本女子野球協会と与田剛さんについて説明します。

日本女子野球協会(にほんじょしやきゅうきょうかい)は、いずれも日本の女子野球に関わる団体である。

1959年〜1971年まで存在したアマチュア野球団体。元々プロ野球団体として発足したアマ野球団体日本女子野球連盟の後継団体として発足した。日本女子野球連盟を参照。
2002年に発足し現存する団体。正式名称は、特定非営利活動法人日本女子野球協会。詳細は本項参照。
現在の日本女子野球協会は、日本国内の女子野球を普及・発展させる目的で設立された団体である。設立翌年より特定非営利活動法人(NPO法人)となっている。IBAF女子野球ワールドカップ(国際野球連盟が主催)および女子野球世界大会(国際女子野球協会が主催)に派遣する女子硬式野球日本代表チーム(かつてはチーム・エネルゲンの愛称で呼ばれた)の編成・育成と、全日本女子硬式野球選手権大会の実施を行っている。
1999年2月 - アメリカ・フロリダで開催される春季全米大会に日本代表チーム(第1期チーム・エネルゲン)を派遣すべく、任意団体として「全日本女子硬式野球チーム実行委員会」を組織。
2002年4月 - 「日本女子野球協会」と改組。
2003年3月 - 特定非営利活動法人(NPO法人)の認可を富山県より受ける。
2004年4月 - 日本野球連盟への加盟が承認。全日本野球会議の構成団体の一員になる。
2004年7月 - 国際野球連盟(IBAF)主催のIBAF女子野球ワールドカップ(カナダ・エドモントン)に女子硬式野球U-18日本代表チームが出場し、準優勝。
2005年8月 - 全日本野球会議普及振興委員会の協力で、第1回全日本女子硬式野球選手権大会を実施(参加チームは、高校5、一般11)。
2006年4月 - 女子野球日本代表が全日本野球会議の代表派遣事業として承認される。
2006年7月 - 第2回IBAF女子野球ワールドカップ(台湾・台北)に女子野球日本代表チームが出場。
2006年10月 - 市原市長杯第1回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会を実施。
※地区連盟等は未整備

女子硬式野球日本代表チームの編成と育成
全日本女子硬式野球選手権大会の主催 (高校女子硬式チームと一般女子硬式チームの合同)
全国高等学校女子硬式野球選手権大会 (全国高等学校女子硬式野球連盟が主催)への開催協力
全日本大学女子野球選手権大会 (全日本大学女子野球連盟が主催)への開催協力<wikipediaより>


与田剛さんは2004年第6期の日本代表チームのコーチをしていましたね。
女子野球ていまいち分からないんですけど基本的には軟式かソフトボールですね。硬式は聞いたことがありませんね・・。あと準硬式野球という軟式と硬式の中間のものもあるみたいです・・・ややこしい^^;
与田剛さんてワールド・ベースボール・クラシックにもコーチとして出ていますし本当に色々なところで活躍している方なんですね~

それでは次回更新日にまたお会いしましょう、さようなら~

2011年4月6日水曜日

与田剛と日本野球連盟

ご無沙汰しています皆さん。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛と日本野球連盟ということですので、日本野球連盟のことを話しましょうか。

財団法人日本野球連盟(にほんやきゅうれんめい、英字表記:Japan Amateur Baseball Association、略称:JABA)は、日本の社会人野球を統括する団体(財団法人)。1949年に日本社会人野球協会として創設され、1985年に現在の名称となった。アマチュア社会人硬式野球チームはこの団体にすべて加盟することとなっており、さらに全国各地にある支部団体に振り分けられる。また公式戦はすべてこの団体が管理・運営することとなっており、毎年夏季に行われる都市対抗野球大会と秋季の日本選手権を頂点に各地で公式戦を開催している。またクラブチームによる全日本クラブ選手権も毎年秋季に開催されている。また、2006年からはナショナルクラブベースボールシリーズも主催することになっている
社会人野球はしばしば実業団野球と混同されるが、実業団野球は現在、軟式野球チームのみを対象としており別物である。
2002年まではJABA公式大会、JABA公認大会、JABA準公認大会が開かれていたが、2003年から公認大会と準公認大会を一本化し、大会名の前に「JABA」を冠することとなった。
2010年2月現在、会長は市野紀生(東京ガス会長)。
一般的には社会人野球の連盟として認知されており、実際にも成年以上が対象で構成されたほとんどの加盟所属チームは社会人野球チームである。
但し、連盟の規定上は、加盟登録条件を満たすすべてのアマチュア野球チームが登録可能となっている。つまり大学や専門学校などのチームも加盟可能であり、大学生や専門学校の生徒がクラブチームに所属し選手登録することも可能だが、野球協約により日本学生野球協会所属団体に登録されている部員は登録できない。なお、いったん日本野球連盟に登録した部員が大学野球(全日本大学野球連盟所属チーム)に移る場合は、大学野球連盟側の規定により、1年間公式戦出場禁止となる。定時制高等学校に通う生徒の場合は18歳以上なら登録可能となっている。
また、2002年の規約改正により、日本高校野球連盟に選手登録をしていない選手であれば、現役の高校生であっても日本野球連盟に選手登録することができることとなっており、現にいくつかのクラブチームでは現役高校生が競技者登録を行っている。
なお、一般の部への社会人チーム以外の登録は以下の通り。(2006年4月現在)

高等専門学校 - 1チーム(福島高専ホープス)
専門学校(専修学校・各種学校)単独チームが8チーム。
大学単独チームでは新潟国際情報大学のみ。※大学連盟に所属すると移動の負担が大きい等が理由。(過去には石巻専修大学の加盟歴がある。)<wikipediaより>


与田剛さんはサウザンリーフ市原という千葉県市原市にあるチームの投手コーチをしていますよね。
私は社会人野球のチームは全て知りませんが、社会人野球がどのように活動しているのかは某プロ野球ゲームで大体は知っていますね(活動くらいですが)
社会人野球て大学野球と同じで知ってる人少ないかな~とは思うんですが、結構プロ野球に入ったりしている人がいますね。
あとサウザンリーフ市原てチーム設立後初の公式戦となった都市対抗野球兼クラブ選手権千葉県1次予選では、7チーム中4位に食い込み健闘を見せて2006年シーズンは都市対抗野球の千葉1次予選ではかずさマジック、日本選手権の千葉1次予選ではJFE東日本の企業2チームを相手にそれぞれ互角の戦いを見せ、翌2007年は澤井良輔・鳥谷部健一の元プロ選手に加えてライバルチームだった千葉熱血MAKINGの主力選手が大量に加入して戦力がアップした結果、クラブ選手権初出場を果たしたみたいですね。

それでは次回更新までさようなら~

2011年4月5日火曜日

与田剛とワールド・ベースボール・クラシック

皆さんどうもお久しぶりです。本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛とワールド・ベースボール・クラシックですので、ワールド・ベースボール・クラシックを紹介しましょう。

ワールド・ベースボール・クラシック(英語:World Baseball Classic、スペイン語:Clasico Mundial de Beisbol〔クラシコ・ムンディアル・デ・ベイスボル〕、略称:WBC)は、国際野球連盟(IBAF)によって認可された、メジャーリーグベースボール(MLB)機構とMLB選手会が主催する野球の世界一決定戦[1][2][3]。1990年代後半頃からメジャーリーグベースボール(MLB)では、東アジアや北中米カリブ海諸国の選手を中心にMLBの国際化が進み、彼らの様なアメリカ合衆国以外の国籍を持つMLB選手による活躍が著しくなった。また、2000年代初頭からメキシコや日本などのアメリカ合衆国内以外でMLB開幕戦を開催するなどして、本格的なMLBの世界進出(グローバル化戦略)によるMLB拡大と野球マーケットの拡大、それに伴う収益の拡大を目指していたMLB機構のバド・セリグコミッショナーは「野球版ワールドカップ」の開催を提唱。関係各所で国際野球連盟(IBAF)主催の大会に出場していないメジャーリーグ選手を中心とした各国のプロ・アマ野球リーグ選手による国別世界一を決める国際大会の開催へ向けて協議がなされて来た。
2005年5月にMLB機構が翌年3月に野球の世界大会を開催することを発表[4]。7月12日にMLBオールスターゲーム開催地のデトロイトで、参加が確定していなかった日本とキューバを除く14ヶ国の代表が出席して開催発表記者会見が行われ、大会の正式名称“World Baseball Classic”が発表された[5]。記者会見にはセリグ・コミッショナーの他、各国の選手代表としてドントレル・ウィリス(アメリカ合衆国)、カルロス・ベルトラン(プエルトリコ)、カルロス・リー(パナマ)、アンドリュー・ジョーンズ(オランダ)、崔熙?(韓国)、ミゲル・テハダ(ドミニカ共和国)、ジェイソン・ベイ(カナダ)、ジャスティン・ヒューバー(オーストラリア)が出席した[6]。WBC開催を記念して、同年のオールスターゲームでは前日に行われる恒例のホームランダービーが異例の国別対抗形式となった。
当初、日本(NPB)はMLB側の一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発し、参加を保留[7]。日本プロ野球選手会も開催時期の問題から参加に反対し[8]、2005年7月22日の選手会総会で不参加を決議した。しかし、MLB機構は参加を保留するNPBに対し、改めて参加を要求し、もし日本の不参加によりWBCが失敗に終わった場合、日本に経済的補償を要求することを通達。更に、WBCへの不参加は「日本の国際的な孤立を招くだろう」と警告した[9]。これを受けて、日本プロ野球選手会は不参加の方針を撤回。最終的に9月16日に選手会の古田敦也会長がNPB機構に参加の意向を伝え、日本の参加が決まった。
その結果、2006年3月に本大会の第1回大会を開催した。
なお、MLB機構はこの大会を夏季オリンピックの野球競技に代わる国際大会として育てたい意向である[5]。また、第2回大会が2009年3月に行われ、その後は4年おきに開催する予定である。ちなみに、現在の参加チームはMLB機構が選抜した16ヶ国・地域による大会となっているが、2013年以降には参加国・地域の数を28ヶ国に増やし、予選も導入する意向を表明している[10]。
試合形式
第1回大会の正式な開催要項は2005年オールスターゲームの前日に発表された。
16の参加国・地域を4チームずつ4組に分け、それぞれの地域で1次リーグを戦う。さらに各組の上位2チーム、合計8チームが4チームずつの2つのリーグに分かれてアメリカで2次リーグを戦い、それぞれのリーグの上位2チームが決勝トーナメントに進出。その4チームで準決勝、決勝を行い優勝を決める。3位決定戦は行われず準決勝敗退の2チームが3位。
投手に関しては、投球数制限などが設けられている。第1回大会では、投球数は1次リーグが65球、2次リーグが80球、準決勝と決勝は95球に制限。第2回大会では1次リーグが70球、2次リーグが85球、準決勝と決勝は100球に制限。投球中に制限数を迎えた投手は、その後の投球数に関係なく、その対戦打者が打席を終えるまで投球が認められる。
登板間隔は、50球以上投げた場合は中4日とする。30球以上50球未満の場合と30球未満でも連投した場合には中1日が義務付けられる。
2次リーグまではコールドゲーム規定(5・6回15点差以上、7・8回10点差以上)とする。
第1回大会においては、1・2次リーグの試合は、延長戦は14回までとし、引き分け時の再試合は行わず、その場合は勝率を0.5勝と見なして計算する。1次、2次の各リーグ戦でチームの勝率が並んだ場合の順位は
直接対決に勝ったチーム
当該チーム間の試合における1イニングあたりの失点が少ないチーム
当該チーム間の試合における1イニングあたりの自責点が少ないチーム
当該チーム間の試合における打率の高いチーム
の優先順位。以上の条件でも決着しない場合、抽選が行われる。
第2回大会から1・2次リーグでダブルエリミネート方式と延長13回からタイブレーク制度が採用され、決着がつくまで試合が行われる。その他細かいルールについては2009 ワールド・ベースボール・クラシックを参照のこと。【wikipediaから】

与田剛さんも2009年の日本代表で投手コーチ(ブルペン担当)をして大会2連覇に貢献したみたいですね。
ワールド・ベースボール・クラシックて世界中の国と試合するとはいえ全部は出場していないんですが、それでも強いところは結構あって、韓国やキューバあたりが特にといったところですね。日本でもオールスターゲームで別の球団の選手とチームを組みますが、これの場合は日本からメジャーに行った選手が日本代表に入ったり、日本の外国人選手として入っている選手が自分が所属していた国の代表になったりもするんです。
ですので、メジャーに行っている選手であまり面識のない選手がいた場合コーチとかは難しいと思うんですけど、それでもコーチを務めた与田剛さんはすごいな~と思いましたね。
それでは皆さん次回またお会いしましょう、さようなら~

2011年3月31日木曜日

野球解説者と与田剛

どうも皆さん、ご無沙汰しています。与田剛ファンの気まぐれブログ今日は野球解説者と与田剛ということですので野球解説者のことを語ります。

野球解説者(やきゅうかいせつしゃ)とは、野球の実況中継で試合の内容を解説する人物、また職業。元野球選手などの野球関係者が務めることが多い。日本におけるプロ野球実況中継は戦前にラジオで放送されたのが始まりである。戦後しばらくまで中継はアナウンサーによる試合の経過実況のみであったが、プロ野球人気の上昇に伴い聴衆に試合内容を広く理解してもらうために、元野球選手や野球評論家などが解説者として起用されるようになった。小西得郎が野球解説の第一人者と言われる。
解説者は各放送局と年契約を結び、中継試合の解説を行う。また、契約局のスポーツ番組に出演し、当日試合の詳細な事後解説を行うこともある。また、系列局や提携局の中継やスポーツ番組に出演することがある。さらに近年は契約局の野球と直接関係ないバラエティ番組にも出演することがある。なお、放送局と契約している解説者は他の系列の放送局にはあまり出演しないので専属出演契約になっているとみられる。
なお、どの放送局とも契約を結ばない無所属(フリー)の解説者も存在し、しばしばゲスト解説者として各局の中継解説に招かれる。
現在は地上波テレビ放送、衛星放送、ラジオ放送、インターネット放送など、解説者の活躍の場は多方面に拡がっている。《wikipediaから》

スポーツの中継だと実況という人もいますよね。今回は野球ですが、スポーツの解説者などはスポーツ解説者というみたいです。
与田剛さんはNHKの解説者ですが、NHKて教育の方のイメージが強くてそういうのはあまり意識されてないと思うんですよね^^;まあNHKは受信料うんぬんがあるので今だと地震などでニュースくらいしか見る人いないと思いますが、スポーツの中継などもしているので、一度見てみてください。与田剛さんは元中日だからか中日に関しては詳しいみたいですしね。

それでは次回またお会いしましょう、御機嫌ようー

2011年3月28日月曜日

与田剛とドラフト会議

お久しぶりです。今回は与田剛とドラフト会議というわけでドラフトについてを話しますね。

ドラフト会議(ドラフトかいぎ)とは、プロスポーツリーグにおいて、選手を各チームに振り分けるために行う会議のことである。「ドラフト」(Draft)で「選抜」の意。狭義では新人選手を対象とした会議(新人選手選択会議)を指す。本項では新人選手選択会議について記述する。
1936年NFLにおいて初めて取り入れられた後、以降競技や国の枠を超えて広がり、日本では1965年にプロ野球においてドラフトが行われたのが最初である。
北米を中心としたプロスポーツリーグで行われているが、契約の自由に対する制限および近年の独禁法などに抵触するため法令で例外措置を受けなければ実施できない場合が多く、欧州では禁止されており、これらの国では自由競争の元で選手の獲得が行われている
リーグの発展に伴って有望な選手との契約を目指すチーム同士が競い合い、新人選手の獲得費用の高騰が進んでいたNFLが契約金の抑制を目的として新人選手の指名権利の分配を目的に初めて導入したプロスポーツ特有の制度である。
現在ではそれに加えて、各チームが選手と自由に契約できると金銭的に余裕のあるチームに戦力が偏ってしまい、一方的な試合が増加し人気の低迷につながるのを防ぐための制度であるという趣旨説明が一般的になされる。北米のプロリーグでは、TV放映の収入を試合の人気に関わらず、各チームに平等に分配するなどして、予算面でも全てのチームの実力が拮抗するように工夫されている。また、これはアメリカのプロスポーツはチームの数そのものが人為的に制限されており、寡占的状態を作ることによって収益の向上が図られているからであり、これには法令上の例外措置が執られている。一方で、前述のように欧州をはじめとした国では、このような例外措置が許されていないので、自由獲得競争が原則となっており、一次リーグに参加できるチームの数に制限はあるものの、プロチームの数に制限などはなく、一国で百以上のチームがひしめき合っており、これらのチームが数千に及ぶ選手と自由に契約する。ただし、シーズン中に選手がコロコロと移籍することを起こさないために、シーズン中の移籍の禁止などの規約は存在する。
逆に指名される選手側からすれば、本来もっているはずの球団選択の自由が、リーグ側の経営目的によって阻害されるという問題ともなる。また、指名の際に「ドラフト○位」といった具合に順位が付けられており、即戦力としての評価が表れるため、低順位である場合は評価が低いと見なされてしまう。
上記のように初期には獲得を希望する選手との入団「交渉権」を分配するための会議であるが、近年特にリーグを単一の企業体としてみなすリーグにおいて事前にリーグにてトライアウト等で選別された選手を分配するという単純に戦力均衡の手段としてのみを目的とする会議も増加している(bjリーグドラフト会議)。また、選手獲得をドラフト入団に限定するリーグとドラフト外入団を認めるリーグが存在する。<wikipediaから>

というようですね。
与田剛さんも1989年度ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団しましたが、ドラフトてチームが順番に獲得したい選手を1人ずつ指名していくんですよね。
また日本の場合は過去にプロ野球の球団に入団したことがない選手のうち日本国籍もしくは日本の大学などに準ずる学校に在学した経験をもつ選手のみ指名できます。
ちなみにドラフトで指名して得られるのは選手との契約交渉権であって契約ではないので、選手と話し合って無理なら入れることができないんですよね^^;(また有効期限もあります)
また1989年もドラフトが豊作となった年として知られる年で与田剛さんを含めた
野茂英雄 佐々木主浩 元木大介 古田敦也といった有名選手も多数指名されたのですが、この年に1位指名を受けるというのはすごいと思いますね。

それでは皆さん次回更新までさようなら~

2011年3月23日水曜日

与田剛と球速

どうも皆さんご無沙汰しています。与田剛ファンの気まぐれブログ今日は球速のことを話しましょうか。

球速(きゅうそく)は球の速さを意味する。野球、ソフトボール、クリケット、ボウリングの投球に対して使う用語である。野球およびソフトボールにおける球速は投手の正規の投球の速さを指し、投手の力量をあらわす指標のひとつとしても参考にされる。投手の手から離れた直後の速度(初速)、捕手のミットもしくは打者のバットに届く直前の速度(終速)、この二点間における平均速度の3つに分けられる。野球においては一般的に、プロの投手で130km/hから160km/h程度の球速の速球を投げる[1]。また、投げられたボールは空気抵抗により打者に届くまでに10km/h程度減速する。マウンドからホームベースまでの距離が18.44mであるので、ボールの到達時間は160km/hで約0.38秒、150km/hで約0.41秒、140km/hで約0.44秒となる[2]。10km/hの差で約0.03秒程度の違いが現れる。時間としては僅かな違いであるが、その差を距離にした場合、0.03秒で1.0m以上の違いになる。変化球はスライダーが110~140km/h程度、シュートが120~140km/h程度と速いものでは速球より10~30km/h程度遅いくらいだが、カーブは90~110km/h程度、チェンジアップは90~120km/h程度と30~50km/hも速球より遅い[1]。速球と30km/hの球速差のあるカーブでは到達時間は約0.1秒程度の違いが現れることになるが、実際にはボールの軌道も異なる為に到達時間はさらに遅れる事になる。
速球の球速は速いほどボールを目で追う事が難しくなり、打者までボールが到達する時間が短くもなるので、正確にバットで捉えることが難しくなる。特に速い球は快速球や剛速球と呼ばれるが、厳密な定義は無く、140km/h後半や150km/h台の速球がそう呼ばれたりする[3][4]。これらを投げる投手は球の速さを武器とする場合が多い。逆に130km/h程度の速球は遅いとされ[5]、速い球を投げられない投手はコントロールや変化球を武器に投球することが多い。
計測方法はスピード測定器(スピードガン)による簡易計測が一般的である。球場やテレビ中継などで表示される球速は球場やテレビ局などがそれぞれ独自に計測したものであり、近年は初速のみが表示される傾向にある。また、測定器の種類や計測条件によって計測結果に著しく差が出ることもあることから公式記録とはされていない。【wikipediaより】

与田剛さんも球速は157km/h出していたことがありますね。150km/hを超えると剛速球になると思ってましたが、140km/h後半でもそういうんですね~。知りませんでした^^;
でもやはりそれなりに速度が出ていないと打たれると思うんで、減速することも考えると与田剛さん含めた速球投げる投手てすごいと思います。

では次回更新まで御機嫌よう~

2011年3月16日水曜日

与田剛とオールスターゲームについて

皆さんどうもお久しぶりです。与田剛のファンブログ今日もはじめていきましょう。
今回は与田剛とオールスターゲームについてというわけでオールスターゲームを詳しく見ていこうと思います。

オールスターゲームとは日本プロ野球の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。球宴(きゅうえん)とも呼ばれる。
1リーグ時代の1937年から、アメリカメジャーリーグベースボールを手本に「職業野球東西対抗戦」という大会名で、本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。
2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグとパシフィック・リーグの対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。
スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという日本プロ野球選手会側からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持した上で、第3戦を地方で開催することとなり、1992年の宮城球場を皮切りに地方開催が実施されるようになった。2001年を最後に3試合制は原則として消滅し、翌年以降は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。
開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団の本拠地(専用球場)で開催となるが、地方開催の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとし、どの球団が運営要員を派遣するかはそれまでの開催実績を元に決定される。また、かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、以前近鉄バファローズが藤井寺球場と日本生命球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄が主管球団となった1959年・1967年・1973年・1979年は南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の本拠地・大阪球場で振り替えて開催した。またロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が1973年から1977年の間、宮城球場をフランチャイズとしていた5年間はロッテの主管試合は開催されなかった。理由は宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年大会の第2戦は広島東洋カープが開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)であり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主催の上、運営要員は広島を中心にセ各球団から派遣された。また2008年より試合前の公式練習では、出場選手・コーチ陣はミズノ提供によるプラクティスユニフォームを着用している。
オールスターゲームにおいてはかつて、真剣勝負を「直球勝負」と曲解する風潮があった。そのため投手が直球を多投する光景が多く見られ「オールスターでは変化球を投げづらい」「真の真剣勝負が見られない」などといった意見もあった。
2009年には、プロ野球実行委員会において「交流戦があって、価値が薄れている」とテレビ視聴率が低迷している現状から、オールスターゲームそのものの見直しが検討された。オールスターゲームはNPBの基幹収益事業の一つで、毎年多くの観客を集め多額の収益をもたらしているが、その一方で、かつては推定2億円近くに及んだ地上波テレビ中継の放映権料が、近年は視聴率低迷もあいまって下落の一途をたどっている。また、冠スポンサーも三洋電機の撤退以来、長期契約を希望する企業が未だ現れず、こうした要因から既に収益が頭打ちとなっている側面がある。2010年は予定通り開催され、2011年についても予定通りの開催が決まっているが、オーナー会議や実行委員会では今後のオールスターゲームの開催方法について審議を継続している。オールスターゲームの収益は選手年金の資金に充てられるため、財源確保のための試合増も検討されている。<wikipediaより>

与田剛さんも2回オールスターゲームに出場しているんですよね。
オールスターゲームというとファン投票により、外野手のみ上位3名まで、その他のポジションについては1位の選手が選出されるんですが、選手間投票や翌日発表の監督推薦でも選ばれるんですよね^^;
なので投票では落ちてしまった選手でも監督の推薦があれば出ることが可能ということです。
まぁ監督推薦や選手間の方が良い選手が選ばれるというのもありますけどね・・・(ファン投票はファンの基準ですし)
あと投手の枠は先発中継ぎ抑えと1つずつしかないため正直監督推薦ではないと難しいみたいですね^^;
その中から2回選ばれた与田剛てすごいと思います。

では次回更新もお楽しみにー御機嫌よう

2011年3月10日木曜日

与田剛の歴史

皆さんご無沙汰しています。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛の歴史ということで与田剛さんの歴史をみていきましょう。

与田 剛(よだ つよし、1965年12月4日 - )は、福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手)。2000年の登録名は「与田 剛士」(読み同じ)。現在はNHK野球解説者、東京中日スポーツ野球評論家。社会人野球チーム「サウザンリーフ市原」の投手コーチ、NTT東京時代に150km/hを超える剛速球が注目され、全日本代表メンバーに抜擢。1989年度ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。1年目の1990年、初登板は開幕戦となる4月7日横浜大洋ホエールズ戦、同点延長の11回表無死1、3塁のピンチでのリリーフ登板であったが2つの三振を含む無失点に抑えた[1]。その後も抑えとして活躍し、オールスターにもファン投票で選出、新人では史上最多となる31セーブを挙げ、新人王と最優秀救援投手を獲得した。8月15日の広島戦(広島市民球場)では157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速記録になっている。その剛速球と名前から剛球投手と呼ばれた。引退後は、2001年よりNHK野球解説者の傍ら、千葉県社会人野球チームサウザンリーフ市原の投手コーチを務めている。また、全日本女子野球チームの投手コーチも務めた。2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表投手コーチ(ブルペン担当)として、大会2連覇に貢献した。〈wikipediaより〉

与田剛さんて大学出たあとにNTT東京にいたんですね、知りませんでした・・・。
私は与田剛さんがオールスターに出ていたのはすごいと思いましたね。あれ全球団選手の中から投票数で選ばれるんで、倍率は高い方なんですけど出れるなんてすごいですよ本当。

では次回更新まで皆さんさようなら~

2011年3月2日水曜日

与田剛とプロ野球応援歌

皆さんこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ今日も張り切っていきましょう。

今日は与田剛とプロ野球応援歌というわけで与田剛さんのプロ野球応援歌を紹介しますね。

与田剛さんが中日にいた頃のに収録されているものなんですが、

1991 年の中日ドラゴンズの応援アルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』収録の『好きよ、ストレート!だから今夜もここに来た』は、名前こそ出ていないものの与田剛さんの応援歌です(ただし、「~のようだ」を与田とかけている)。当時、若手で活躍していた与田剛さんを応援する女性ファンの心理で歌われている。後に『蔵出・山本正之作品大全集』にも収録されたが、個人の応援歌という事もあってか、中日の応援歌等を集めた『昇竜魂~ドラゴンズ70thメモリアルソングス~』には収録されていない。


う~ん個人の応援歌て中日の応援歌集には入らないんですね

私も野球の応援歌て球団の応援歌くらいしか知らないんですが個人の応援歌なんてあるんですね~

他の選手にも応援歌てあるんでしょうかね~


それではまた次回お会いしましょう、御機嫌よう~

2011年2月25日金曜日

与田剛のニュース

ネットサーフィンをしていたら、たまたまこんな記事を見つけました!

「香川県東かがわ市出身で全日本男子バレーボールの植田辰哉監督ら国内トップレベルの指導者が講師を務めるスポーツ教室「ドリームクリニック2011」(同実行委主催)が19日、同市内などで開かれた。バレー、柔道、野球の3競技があり、参加した児童は世界で活躍するアスリートを育てる指導の一端を肌で感じ、飛躍の糧にした。

 スポーツ教室は、植田監督が古里からの五輪選手の輩出と地元への恩返しをしたいとの思いから、昨年初めて開き、今回が2回目。植田監督のほか、全日本女子バレーの真鍋政義監督、全日本柔道男子前監督の斉藤仁さん、元プロ野球選手の与田剛さんが講師を務めた」

つい先日のニュースなんですけど、与田剛のファンながら知らなかったです・・・。
僕も与田剛さんから直接野球を教わってみたいな~

後、与田剛ファンなら多分知っているであろう「与田剛のメジャーリーグ剛球解説」という単行本があるのですが、野球好きには楽しめる本です!興味のある方は読んでみて下さいな。

2011年2月24日木曜日

憧れの与田剛

こんにちは!
皆さん初めまして、与田剛さんのファンの優と申します。与田剛さんとは元中日ドラゴンズの投手です。
僕は元々野球が大好きで、与田さんのガッツあるピッチングに憧れていました。
ユニホームを着て、力いっぱいボールを投げる姿が、男から見ても凄くかっこいいんですよ!

そんな彼のピッチングですが、広島戦で157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速記録になったのです。

現在はNHKの野球解説者として活躍されていますが、社会人野球チーム「サウザンリーフ市原」の投手コーチとしても活躍されています。

色々活躍している彼をこれからも追っていきたいと思います。

不定期更新になるかもしれませんが、暇な時は更新していきたいなと思っていますので、
どうぞ宜しくです。