2011年4月28日木曜日

豊橋中金会と与田剛講演会

ご無沙汰していますね。今日は豊橋中金会と与田剛講演会ということで、豊橋中金会と与田剛講演会について話していきましょうか。

2009.10.16
商工中金豊橋支店の取引先で作る親睦会、豊橋中金会(青木徳生会長)は15日、ホテルアソシア豊橋に元中日ドラゴンズ投手で現NHK野球解説者の与田剛さんを招いて「私の野球人生―自分を信じて逆境を乗り越える」というタイトルで講演会を行った。
 与田さんは「幼少から父親が病気がちで高校進学もあきらめかけていたが周りの協力により進学や大学入学、就職もできたのですごく感謝している」と話し始めた。プロ野球に入団してからは栄光と挫折の両方を味わった。ドラゴンズでタイトルを獲得するもトレードでマリーンズへ行き、そこで自由契約、そしてファイターズ、タイガースにテストで入団した。
 与田さんは「やらなくて後悔するよりも失敗する後悔を選んだ」と強調し、プライドよりも自分の素直な気持ちを大切にすることを話した。

結構古い記事ですが、与田剛さんて講演も受けているようですね。
話自体はテーマを決めて話すみたいですけど、大体は与田剛さんの野球人生の話をしていることが多いようです。
確かに与田剛さんの野球人生て本でも読みましたが自分が行ないたいことを決めて動いていたのはすごかったと思いますね。

それでは皆さん次回更新もお楽しみに~

2011年4月27日水曜日

トッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛

皆さんこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ今回はッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛ですのでッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングと与田剛を紹介します

トッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチングは与田剛さんが監修した本で、野球上達のテクニックが書いてある本です。与田剛さんが書いた本ではないんですが与田剛が分析した有名投手について解説を行なっている本なので与田剛さんが考えているビッチングの事が分かる本だと思いますね。

上原、松坂、マダックス、P.マルティネスなど日米の一流投手の投球術を与田氏が徹底解説。実践的アドバイス満載の1冊。
上原、松坂、マルティネスなど日米の一流投手の投球術を与田氏が徹底解説。
上原、松坂、マルティネス、マダックスなど日米のスーパースターの投球術を与田剛がポイント解説。基本からスーパーテクニックまで連続写真でビジュアルに解説する。03年刊の新版。

特に西武時代の松坂投手の流れるようなダイナミックな投球フォームは必見ですね
無駄の無いフォームが印象的で力を入れ過ぎても駄目なことがこの本の選手のピッチングフォームからわかります。力を入れるところは入れて、リラックスするところはする投手に必要だけどなかなか難しいものだと思います。( ´ー`)σ)Д`)

それでは皆さん次回までさようなら~

2011年4月26日火曜日

消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛

どうも皆さんご無沙汰しています。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛というわけで消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生と与田剛のことを語りますね。
何冊か与田剛さんの本を紹介してきましたが、今回のは与田剛さん自身の本ですね

あらすじ
消えた剛速球―157キロで駆け抜けた直球人生
1990年にドラフト1位で中日に入団し、救援勝利4、セーブ31を挙げ、最優秀救援投手・最優秀新人賞を獲得した速球王が語る白球に懸けた情熱の半生。

与田剛さんの157km/hてなにげに今でも上位に入ってるんですよね。
与田剛さんはプロ野球に入ってから速球を投げ続け引退まで色々なことがあったようですが、それでも引退するまで投げ続けれたのはすごいと思いますね。
本の内容も今までどんなことが起きて野球解説者になったのかを書いていまして、読んでいて野球て結構大変なんだな~と思いましたね。ちなみに2001年で結構前の本で1470円しますが、読んでみても損はないと思います。まぁ全部揃えたら結構かかることはかかりますがね。(=ω=)ヾ

それでは皆さん次回更新まで御機嫌ようさようなら~

2011年4月22日金曜日

メジャーリーグと与田剛

どうも皆さんこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ、今回はメジャーリーグと与田剛ということですので、メジャーリーグと与田剛について話していきましょうか。

メジャーリーグベースボール(Major League Baseball, MLB)は、アメリカ合衆国及びカナダの30球団により編成される、北アメリカで最上位に位置するプロ野球リーグであり、北アメリカ4大プロスポーツリーグの1つである[1]。厳密に言うならば、1903年に発足した、ナショナルリーグとアメリカンリーグの2つのリーグの共同事業機構で、両リーグの統一的運営をしている。日本では一般的に「メジャーリーグ」「大リーグ」と呼ばれる。「大リーグ」の呼称は、メジャーリーグの別名「ビッグリーグ(Big League)」の訳語である。

メジャーリーグベースボール(以下、MLB)は、ナショナルリーグとアメリカンリーグの2リーグからなり、カナダに本拠地を置く1チームを含む全30球団から構成されている。各チームはリーグごとに東地区、中地区、西地区に所属する。アメリカ合衆国外からの参加は過去にモントリオール・エクスポスとトロント・ブルージェイズの2チームが参加していたが、2005年にエクスポスがワシントンD.C.に本拠を移転したため、国外チームは現在ブルージェイズの1チームのみ。

試合形式は、レギュラーシーズンとポストシーズンで構成され、最終的に各リーグの優勝チームがワールドシリーズと呼ばれる優勝決定戦を行いワールドチャンピオンを決定する。レギュラーシーズンは4月初旬から9月下旬にかけて各チームが162試合を行い地区優勝を争う。10月初旬からポストシーズンがトーナメント形式で行われる。トーナメントでは各段階ごとにディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップシリーズ、ワールドシリーズと冠される。アメリカ合衆国内のプロ野球リーグは、MLBと、MLBの傘下協定をしているマイナーリーグベースボール、またこれらに所属しないプロ野球リーグ(これらは独立リーグと呼ばれている)が過去現在に渡りいくつも存在している。1969年に、アメリカプロ野球100周年を機にMLB機構の指定により『野球記録特別委員会』が設置され、そこで過去消滅したリーグを含め下記6つのプロ野球リーグを「メジャーリーグ」として認める、という決定がなされた。

ナショナルリーグ(1876年〜現在)
アメリカンリーグ(1901年〜現在)
アメリカン・アソシエーション(1882年〜1891年)
ユニオン・アソシエーション(1884年)
プレイヤーズ・リーグ(1890年)
フェデラル・リーグ(1913年〜1915年で、このうち1914年と1915年の2年間)

それ以外の野球リーグでプロとして活動した経歴を持つ選手の記録については、現在この裁定に基づき、どこからどこまでをメジャーリーグ記録とするかといった分類が行われている。ただしこの裁定には一部研究者が、下記のリーグについてもメジャーリーグに含むべきだとの異論を唱えている。

1871年〜1875年に運営された「ナショナル・アソシエーション」[2]。
アフリカ系アメリカ人(黒人)中心に運営された「ニグロ・リーグ」のうち、特に運営基盤が確立されていた1920〜1948年の期間[3]。
現在のアメリカンリーグを、1年遡って1900年の「ウェスタンリーグ」からメジャーリーグとして扱う。『wikipediaから』

前回与田剛さんの本でメジャーについては触れましたが、実は与田剛さんてメジャーに何回かいっているみたいなんですよね。メジャーの実況中継の解説をしていますが、向こうに行って実際に球団や選手がどういう状態なのかを確認して解説しているみたいです。というより日本での放送てNHK、TBS、フジテレビに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング(J SPORTS)で行なってるんですね。日本テレビだけ放送していないのは分からないんですが(゚д゚)

ちなみに与田剛さんのメジャー剛球本でも書いてありましたが、日本の野球とアメリカのベースボールは結構違っていて日本は、各球団とも現状は投手・野手の5人と決められていますがメジャーでは外国人枠などというものはありません。つまり外国人だろうが特別扱いにはならないんですよね。
またメジャーでは2軍でも各選手の能力の向上を行なっているようで、2軍でも1軍に負けないくらいの実力をもつようにしているんですよ。こういうところが日本とアメリカの強さの違いなのかもしれませんね・・・ それでは皆さん次回またお会いしましょう、さようなら~

2011年4月21日木曜日

与田剛のメジャーリーグ剛球解説

皆さんこんにちは。本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛のメジャーリーグ剛球解説なんで、与田剛のメジャーリーグ剛球解説を説明していきますね

結構前にもこの本を名前だけ紹介しましたが、今回は本の内容を詳しく見ていきたいと思います

MLBぜんぶお見せします!続々誕生する日本人メジャーリーガー。真の国際スポーツに進化するベースボール。最高峰の世界を元プロ野球投手の目で紹介。
NHKメジャーリーグ放送の解説者である著者が、テレビ解説では伝えきれないメジャーリーグの魅力を存分に紹介し、現地取材をかさねた豊富な知見と元プロ野球投手の視点から、メジャーリーグの真髄を解説。
プロローグ

Part.1 野球とベースボールはこれだけ違う
      ――メジャーリーグの真髄
Part.2 私を野球に連れてって!
      ――メジャーリーグの球場・練習・キャンプ
Part.3 チャンピオンリングは誰の手に?
      ――メジャーリーグ全30球団の戦力分析
Part.4 これぞメジャーリーガー
      ――超一流の実力
Part.5 彼らはいかにしてメジャーリーガーになったか
      ――日本人プレイヤーの挑戦
Part.6 メジャーリーグ実況中継、もっと深く
      ――TV観戦のポイント

エピローグ――愛する日本の野球へ

内容自体は与田剛がアメリカで活躍している日本人選手を話していく本で、タイトル通り投手を主に取り上げていますね。他にはメジャーリーグの球場・練習・キャンプやメジャーの特長、球団の分析や日本人以外のメジャーリーグで活躍している選手や実況中継のことなどですね。

与田剛さんはメジャーの解説もしているので、そういう経験からメジャーについて書けるんだな~と思いましたね。あと与田剛さんはWBCでメジャーで活躍していた日本人選手にも会っているので、そこらへんからもメジャーの現状を理解しているんだと思いますね。メジャーじゃどの選手も155km/h以上の速球普通に投げるのですごそうですけどね(´・∀・`)

では次回更新まで皆さんご機嫌よう~

2011年4月20日水曜日

中継ぎ力リストラ社会ニッポンの新しい生き方と与田剛

どうも皆さんまたお会いしましたね。
与田剛ファンの気まぐれブログ前回は与田剛さんの本の話をしましたのでまた別の本を紹介しようとおもいます。

今回は中継ぎ力リストラ社会ニッポンの新しい生き方という本ですね。

NHKプロ野球解説者・与田剛が綴る人生の「中継ぎ力」とは!?プロ野球と人生の共通点を探りつつ、「一球入魂」の生き方を提案します。 なぜ巨人は復活したのか?近年、プロ野球、MLBともに頂点に立つチームには共通点がある。それが中継ぎ投手の充実である。つなぎの役割を果たす中継ぎの出来が試合展開を左右する時代になったのだ。これは人生にも同じことが言えないだろうか?終身雇用が形骸化し、リストラが横行。若くして将来が見えない人も増えている。こんな時代に必要なのが与田剛の提案する「中継ぎ力」だ。リストラされた時にどう生きるかで、あなたの人生展開も大きく変わってくるのだ。

ちなみにこの本は野球の中継ぎを説明しているものではありません
上にもある通り企業で働く時に中継ぎ力が必要になってくるというものなんですよ

企業の中継ぎ力て言っても・・・て感じなんですが読んで見てなるほどな~と思いましたね。
人生において『中継ぎ』とは途中でこけてしまってもその場で持ち上がる力とそこからどう転換していくかを考えるべきだというらしくて、与田剛さん自身も経験してきた生き方の難しさというものを考えさせられたような気がしましたね。
先発でこけた場合いかいに中継ぎで次に繋げられるかが重要だということなんですね。

それでは皆さんご機嫌よう、さようなら~

2011年4月19日火曜日

一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛

皆さんどうもこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ今回は一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛ですので、一流力―サムライジャパン勝利の理由 と与田剛さんのことを説明していきます。

一流力―サムライジャパン勝利の理由とは与田剛さんが書いた本で第2回WBCのことが書かれていますね。

あらすじ
北京五輪での屈辱を乗り越え、王者としての誇りを胸に、第2回WBCで熱戦を繰り広げたサムライジャパン。歴史に残る大勝や惜敗、ライバルたちとの死闘の裏にあったサムライたちの真実とは? 投手コーチとしてサムライジャパンを支えた著者が、激闘の日々を赤裸々に語る。
09WBC日本代表投手コーチを務めた著者が、大会期間中に記したメモを元に、サムライジャパンの激闘の日々と、野茂・古田、星野・野村監督など一流の野球人たちの知られざるエピソードを語る。

私も読んで見ましたが、与田剛さんのサムライジャパンの勝利の理由や一流選手の条件などを分析しているもので、読んでいても分かりにくいといったことはありませんでしたね。
大会中のブルペンの様子、リリーフ役に徹した先発投手陣の苦労など、テレビでは映らなかったWBCの舞台裏が書かれているんですが、活躍していた場面だけでなく苦労していた選手もうつしていたのは良かったと思います。特に挑戦して失敗するより、挑戦しないまま後悔を引きずるほうが嫌ですという与田剛さんの言葉は、物事に対して挑戦し続けることの大切さを再認識したような気がしますね。

それでは皆さん次回またお会いしましょう、御機嫌ようー

2011年4月12日火曜日

与田剛とNTT東日本硬式野球

皆さん、どうもご無沙汰しています。
本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛とNTT東日本硬式野球ということですので、与田剛さんとNTT東日本硬式野球のことを話しましょうか

NTT東日本硬式野球部(エヌティーティーひがしにほんこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである(合宿所・練習グラウンドは千葉県船橋市に所在する(NTT東日本船橋グラウンド))。

1952年、電電公社が発足すると、その後数年の間に電電公社のチームが全国各地に誕生し、1954年に「電電東京」が発足した。1985年のNTTグループ誕生に伴い、それぞれのチームが「NTT○○」に改称した。そして1999年にNTTの再編が行われたことを受け、NTT東日本のエリアにあるチーム(NTT北海道(札幌市)、NTT東北(仙台市)、NTT関東(船橋市)、NTT東京(東京都)、NTT信越(長野市))を統合した。日本野球連盟への登録は、NTT東京のものを引き継ぎ、合宿所等はNTT関東のものを引き継いだ。
  1954年 「電電東京」として設立
1959年 都市対抗野球大会初出場(初戦敗退)
1974年 社会人野球日本選手権大会初出場(第1回大会、初戦敗退)
1981年 都市対抗野球大会初優勝
1985年 チーム名を「NTT東京」に改称
1999年 本社再編に伴い、東日本エリア5チームを統合し「NTT東日本」誕生
(「電電東京」、「NTT東京」時代を含む)

都市対抗野球大会 出場35回、優勝1回(1981年)
社会人野球日本選手権大会 出場9回、4強1回(2010年)
JABA東京スポニチ大会 優勝1回(1976年)
JABA東北大会 優勝1回(2005年)
JABA静岡大会 優勝2回(1959,1986年)
JABA四国大会 優勝1回(1998年)
JABA九州大会 優勝2回(1964,1979年)
JABA長野県知事旗争奪野球大会 優勝5回(1981,2000,02,03,10年)
JABA日立市長杯争奪大会 優勝2回(1977,78年)
JABA広島大会 優勝1回(1974年)
(「電電東京」、「NTT東京」時代を含む)

土屋紘投手(1967年中日ドラフト1位→ロッテ)
与田剛投手(1989年中日ドラフト1位→ロッテ→日本ハム→阪神)
今関勝投手(1992年日本ハムドラフト3位→米独立リーグ・ブリッジポート)
沖原佳典内野手(2000年阪神ドラフト6位→東北楽天。NTT関東から転籍)
田中充投手(2001年千葉ロッテドラフト4巡→ヤクルト。NTT関東から転籍)
渡邉恒樹投手(2004年東北楽天ドラフト2巡→ヤクルト)
上野貴久投手(2006年巨人大学生・社会人ドラフト3巡)
清田育宏外野手(2009年千葉ロッテドラフト4位)〈wikipediaより〉

NTT東日本硬式野球は与田剛さんが入っていた社会人野球チームなんですが、1999年に再編が行われて統合したみたいなんですよね。なので与田剛さんがいたころは統合前だったようです。。NTT東日本て結構有名なところのようですね。
与田剛さんは社会人野球チームのコーチをしていますが、こういうところで経験したことを役立ててるんだなと思いました。

では次回更新日にまたお会いしましょう、さようなら~

2011年4月8日金曜日

日本女子野球協会と与田剛

皆さんどうもこんにちは。与田剛ファンの気まぐれブログ、本日は日本女子野球協会と与田剛ということで、日本女子野球協会と与田剛さんについて説明します。

日本女子野球協会(にほんじょしやきゅうきょうかい)は、いずれも日本の女子野球に関わる団体である。

1959年〜1971年まで存在したアマチュア野球団体。元々プロ野球団体として発足したアマ野球団体日本女子野球連盟の後継団体として発足した。日本女子野球連盟を参照。
2002年に発足し現存する団体。正式名称は、特定非営利活動法人日本女子野球協会。詳細は本項参照。
現在の日本女子野球協会は、日本国内の女子野球を普及・発展させる目的で設立された団体である。設立翌年より特定非営利活動法人(NPO法人)となっている。IBAF女子野球ワールドカップ(国際野球連盟が主催)および女子野球世界大会(国際女子野球協会が主催)に派遣する女子硬式野球日本代表チーム(かつてはチーム・エネルゲンの愛称で呼ばれた)の編成・育成と、全日本女子硬式野球選手権大会の実施を行っている。
1999年2月 - アメリカ・フロリダで開催される春季全米大会に日本代表チーム(第1期チーム・エネルゲン)を派遣すべく、任意団体として「全日本女子硬式野球チーム実行委員会」を組織。
2002年4月 - 「日本女子野球協会」と改組。
2003年3月 - 特定非営利活動法人(NPO法人)の認可を富山県より受ける。
2004年4月 - 日本野球連盟への加盟が承認。全日本野球会議の構成団体の一員になる。
2004年7月 - 国際野球連盟(IBAF)主催のIBAF女子野球ワールドカップ(カナダ・エドモントン)に女子硬式野球U-18日本代表チームが出場し、準優勝。
2005年8月 - 全日本野球会議普及振興委員会の協力で、第1回全日本女子硬式野球選手権大会を実施(参加チームは、高校5、一般11)。
2006年4月 - 女子野球日本代表が全日本野球会議の代表派遣事業として承認される。
2006年7月 - 第2回IBAF女子野球ワールドカップ(台湾・台北)に女子野球日本代表チームが出場。
2006年10月 - 市原市長杯第1回全日本女子硬式クラブ野球選手権大会を実施。
※地区連盟等は未整備

女子硬式野球日本代表チームの編成と育成
全日本女子硬式野球選手権大会の主催 (高校女子硬式チームと一般女子硬式チームの合同)
全国高等学校女子硬式野球選手権大会 (全国高等学校女子硬式野球連盟が主催)への開催協力
全日本大学女子野球選手権大会 (全日本大学女子野球連盟が主催)への開催協力<wikipediaより>


与田剛さんは2004年第6期の日本代表チームのコーチをしていましたね。
女子野球ていまいち分からないんですけど基本的には軟式かソフトボールですね。硬式は聞いたことがありませんね・・。あと準硬式野球という軟式と硬式の中間のものもあるみたいです・・・ややこしい^^;
与田剛さんてワールド・ベースボール・クラシックにもコーチとして出ていますし本当に色々なところで活躍している方なんですね~

それでは次回更新日にまたお会いしましょう、さようなら~

2011年4月6日水曜日

与田剛と日本野球連盟

ご無沙汰しています皆さん。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛と日本野球連盟ということですので、日本野球連盟のことを話しましょうか。

財団法人日本野球連盟(にほんやきゅうれんめい、英字表記:Japan Amateur Baseball Association、略称:JABA)は、日本の社会人野球を統括する団体(財団法人)。1949年に日本社会人野球協会として創設され、1985年に現在の名称となった。アマチュア社会人硬式野球チームはこの団体にすべて加盟することとなっており、さらに全国各地にある支部団体に振り分けられる。また公式戦はすべてこの団体が管理・運営することとなっており、毎年夏季に行われる都市対抗野球大会と秋季の日本選手権を頂点に各地で公式戦を開催している。またクラブチームによる全日本クラブ選手権も毎年秋季に開催されている。また、2006年からはナショナルクラブベースボールシリーズも主催することになっている
社会人野球はしばしば実業団野球と混同されるが、実業団野球は現在、軟式野球チームのみを対象としており別物である。
2002年まではJABA公式大会、JABA公認大会、JABA準公認大会が開かれていたが、2003年から公認大会と準公認大会を一本化し、大会名の前に「JABA」を冠することとなった。
2010年2月現在、会長は市野紀生(東京ガス会長)。
一般的には社会人野球の連盟として認知されており、実際にも成年以上が対象で構成されたほとんどの加盟所属チームは社会人野球チームである。
但し、連盟の規定上は、加盟登録条件を満たすすべてのアマチュア野球チームが登録可能となっている。つまり大学や専門学校などのチームも加盟可能であり、大学生や専門学校の生徒がクラブチームに所属し選手登録することも可能だが、野球協約により日本学生野球協会所属団体に登録されている部員は登録できない。なお、いったん日本野球連盟に登録した部員が大学野球(全日本大学野球連盟所属チーム)に移る場合は、大学野球連盟側の規定により、1年間公式戦出場禁止となる。定時制高等学校に通う生徒の場合は18歳以上なら登録可能となっている。
また、2002年の規約改正により、日本高校野球連盟に選手登録をしていない選手であれば、現役の高校生であっても日本野球連盟に選手登録することができることとなっており、現にいくつかのクラブチームでは現役高校生が競技者登録を行っている。
なお、一般の部への社会人チーム以外の登録は以下の通り。(2006年4月現在)

高等専門学校 - 1チーム(福島高専ホープス)
専門学校(専修学校・各種学校)単独チームが8チーム。
大学単独チームでは新潟国際情報大学のみ。※大学連盟に所属すると移動の負担が大きい等が理由。(過去には石巻専修大学の加盟歴がある。)<wikipediaより>


与田剛さんはサウザンリーフ市原という千葉県市原市にあるチームの投手コーチをしていますよね。
私は社会人野球のチームは全て知りませんが、社会人野球がどのように活動しているのかは某プロ野球ゲームで大体は知っていますね(活動くらいですが)
社会人野球て大学野球と同じで知ってる人少ないかな~とは思うんですが、結構プロ野球に入ったりしている人がいますね。
あとサウザンリーフ市原てチーム設立後初の公式戦となった都市対抗野球兼クラブ選手権千葉県1次予選では、7チーム中4位に食い込み健闘を見せて2006年シーズンは都市対抗野球の千葉1次予選ではかずさマジック、日本選手権の千葉1次予選ではJFE東日本の企業2チームを相手にそれぞれ互角の戦いを見せ、翌2007年は澤井良輔・鳥谷部健一の元プロ選手に加えてライバルチームだった千葉熱血MAKINGの主力選手が大量に加入して戦力がアップした結果、クラブ選手権初出場を果たしたみたいですね。

それでは次回更新までさようなら~

2011年4月5日火曜日

与田剛とワールド・ベースボール・クラシック

皆さんどうもお久しぶりです。本日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛とワールド・ベースボール・クラシックですので、ワールド・ベースボール・クラシックを紹介しましょう。

ワールド・ベースボール・クラシック(英語:World Baseball Classic、スペイン語:Clasico Mundial de Beisbol〔クラシコ・ムンディアル・デ・ベイスボル〕、略称:WBC)は、国際野球連盟(IBAF)によって認可された、メジャーリーグベースボール(MLB)機構とMLB選手会が主催する野球の世界一決定戦[1][2][3]。1990年代後半頃からメジャーリーグベースボール(MLB)では、東アジアや北中米カリブ海諸国の選手を中心にMLBの国際化が進み、彼らの様なアメリカ合衆国以外の国籍を持つMLB選手による活躍が著しくなった。また、2000年代初頭からメキシコや日本などのアメリカ合衆国内以外でMLB開幕戦を開催するなどして、本格的なMLBの世界進出(グローバル化戦略)によるMLB拡大と野球マーケットの拡大、それに伴う収益の拡大を目指していたMLB機構のバド・セリグコミッショナーは「野球版ワールドカップ」の開催を提唱。関係各所で国際野球連盟(IBAF)主催の大会に出場していないメジャーリーグ選手を中心とした各国のプロ・アマ野球リーグ選手による国別世界一を決める国際大会の開催へ向けて協議がなされて来た。
2005年5月にMLB機構が翌年3月に野球の世界大会を開催することを発表[4]。7月12日にMLBオールスターゲーム開催地のデトロイトで、参加が確定していなかった日本とキューバを除く14ヶ国の代表が出席して開催発表記者会見が行われ、大会の正式名称“World Baseball Classic”が発表された[5]。記者会見にはセリグ・コミッショナーの他、各国の選手代表としてドントレル・ウィリス(アメリカ合衆国)、カルロス・ベルトラン(プエルトリコ)、カルロス・リー(パナマ)、アンドリュー・ジョーンズ(オランダ)、崔熙?(韓国)、ミゲル・テハダ(ドミニカ共和国)、ジェイソン・ベイ(カナダ)、ジャスティン・ヒューバー(オーストラリア)が出席した[6]。WBC開催を記念して、同年のオールスターゲームでは前日に行われる恒例のホームランダービーが異例の国別対抗形式となった。
当初、日本(NPB)はMLB側の一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発し、参加を保留[7]。日本プロ野球選手会も開催時期の問題から参加に反対し[8]、2005年7月22日の選手会総会で不参加を決議した。しかし、MLB機構は参加を保留するNPBに対し、改めて参加を要求し、もし日本の不参加によりWBCが失敗に終わった場合、日本に経済的補償を要求することを通達。更に、WBCへの不参加は「日本の国際的な孤立を招くだろう」と警告した[9]。これを受けて、日本プロ野球選手会は不参加の方針を撤回。最終的に9月16日に選手会の古田敦也会長がNPB機構に参加の意向を伝え、日本の参加が決まった。
その結果、2006年3月に本大会の第1回大会を開催した。
なお、MLB機構はこの大会を夏季オリンピックの野球競技に代わる国際大会として育てたい意向である[5]。また、第2回大会が2009年3月に行われ、その後は4年おきに開催する予定である。ちなみに、現在の参加チームはMLB機構が選抜した16ヶ国・地域による大会となっているが、2013年以降には参加国・地域の数を28ヶ国に増やし、予選も導入する意向を表明している[10]。
試合形式
第1回大会の正式な開催要項は2005年オールスターゲームの前日に発表された。
16の参加国・地域を4チームずつ4組に分け、それぞれの地域で1次リーグを戦う。さらに各組の上位2チーム、合計8チームが4チームずつの2つのリーグに分かれてアメリカで2次リーグを戦い、それぞれのリーグの上位2チームが決勝トーナメントに進出。その4チームで準決勝、決勝を行い優勝を決める。3位決定戦は行われず準決勝敗退の2チームが3位。
投手に関しては、投球数制限などが設けられている。第1回大会では、投球数は1次リーグが65球、2次リーグが80球、準決勝と決勝は95球に制限。第2回大会では1次リーグが70球、2次リーグが85球、準決勝と決勝は100球に制限。投球中に制限数を迎えた投手は、その後の投球数に関係なく、その対戦打者が打席を終えるまで投球が認められる。
登板間隔は、50球以上投げた場合は中4日とする。30球以上50球未満の場合と30球未満でも連投した場合には中1日が義務付けられる。
2次リーグまではコールドゲーム規定(5・6回15点差以上、7・8回10点差以上)とする。
第1回大会においては、1・2次リーグの試合は、延長戦は14回までとし、引き分け時の再試合は行わず、その場合は勝率を0.5勝と見なして計算する。1次、2次の各リーグ戦でチームの勝率が並んだ場合の順位は
直接対決に勝ったチーム
当該チーム間の試合における1イニングあたりの失点が少ないチーム
当該チーム間の試合における1イニングあたりの自責点が少ないチーム
当該チーム間の試合における打率の高いチーム
の優先順位。以上の条件でも決着しない場合、抽選が行われる。
第2回大会から1・2次リーグでダブルエリミネート方式と延長13回からタイブレーク制度が採用され、決着がつくまで試合が行われる。その他細かいルールについては2009 ワールド・ベースボール・クラシックを参照のこと。【wikipediaから】

与田剛さんも2009年の日本代表で投手コーチ(ブルペン担当)をして大会2連覇に貢献したみたいですね。
ワールド・ベースボール・クラシックて世界中の国と試合するとはいえ全部は出場していないんですが、それでも強いところは結構あって、韓国やキューバあたりが特にといったところですね。日本でもオールスターゲームで別の球団の選手とチームを組みますが、これの場合は日本からメジャーに行った選手が日本代表に入ったり、日本の外国人選手として入っている選手が自分が所属していた国の代表になったりもするんです。
ですので、メジャーに行っている選手であまり面識のない選手がいた場合コーチとかは難しいと思うんですけど、それでもコーチを務めた与田剛さんはすごいな~と思いましたね。
それでは皆さん次回またお会いしましょう、さようなら~