2011年9月1日木曜日

与田剛さんの2009年6月講演会

どうもこんにちは
本日の与田剛ファンの気まぐれは与田剛さんの2009年6月講演会というわけですので、与田剛さんの2009年6月講演会について語りますね

090624与田剛講演会
1990年セ・リーグのセーブ王、新人王を獲得した与田剛さんの軌跡を聞かせていただきました。
まず冒頭の挨拶に驚きました。
9年間プロ野球の世界にいましたが人に誇れる成績は2年だけです。
知ってはいましたがこんな枕言葉で講演会がスタート
以下与田剛さんの語りを抜粋します。
僕はとにかくプロ野球選手になりたかった。
甲子園を目指し野球をして来たが、残念ながら甲子園には行くことは叶わなかった…。
野球を続けたい僕は亜細亜大学へ入学した。
大学野球で才能が開花してプロ野球に入っていく人間はいっぱいいる。
だけど僕の指は練習のしすぎでボロボロになっていました。指先に神経が通わずボールも握れない日々…。
メスを入れる事を決意した。
手術は無事に成功し野球を続けることは出来ましたが大学時代は1勝しか出来なかったです。
当然スカウトにも引っ掛からなかった僕ですが社会人野球からオファーを貰えました。
都市対抗野球の名門NTT東京に入社。同期には大学野球、高校野球で名を売ったやつばかり。
顧客への挨拶回りで僕はいつも惨めな思いをしましたた。
○○君!あの大会覚えるよ。
○○君!あのホームラン凄かったね!
与田君…。はじめまして…。
その年もチームは都市対抗野球に出場。ベンチに僕の姿はなかった。
スタンドで観戦しながら悔しさを噛み締める日々が僕を大きく成長たせてくれました。
社会人2年目。僕の努力はついに報われれ全日本メンバーに選ばれる事になる。
ある時、全日本合宿のブルペン。
隣で投げ込みをする選手に衝撃を覚えた。
投球フォーム、球威、威圧感。
『あ~こういう選手がプロへ行くんだな』と目を奪われた。それが野茂英雄である。
今、エアコンのCMで見る太った野茂ではないですよ。日本プロ野球のパイオニア野茂英雄です!
その年の呉のドラフト会議。
野茂には8球団の一位指名が。中日も野茂を一位指名するハズでした。
中日、投手、与田剛。
パンチョさんの声が響く!
ドラフト当日、当時の中日監督。星野仙一は野茂ではなく僕を指名してくれたのだ!
僕を取り囲む環境は一変した。
次の日からハイヤーで会社に向かう。
だけど当時の僕は家族の事もあり、在京球団の希望を表明していました。
当時の慣習では希望以外の球団が選手を指名した場合監督が挨拶に来る習わしがあったんですよ。
会社中盛り上がりましたね!
星野仙一がやって来る?!
ドキドキしました~!
しかし星野仙一は来なかったんです。
『野茂ではなくお前を指名したのが俺の気持ちだ!
若僧になんで俺が挨拶せなならんのや!』
その言葉に逆に心を動かされた僕は中日入りを決めました。

与田剛さんの話て詳しくは聞いたことないんですけど講演でこういう話をしているんですね