2011年3月16日水曜日

与田剛とオールスターゲームについて

皆さんどうもお久しぶりです。与田剛のファンブログ今日もはじめていきましょう。
今回は与田剛とオールスターゲームについてというわけでオールスターゲームを詳しく見ていこうと思います。

オールスターゲームとは日本プロ野球の対抗試合である。毎年7月に行われ、監督推薦やプロ野球ファンによる投票などで選抜された選手が出場する。球宴(きゅうえん)とも呼ばれる。
1リーグ時代の1937年から、アメリカメジャーリーグベースボールを手本に「職業野球東西対抗戦」という大会名で、本拠地別に配分した東西オールスターとして行われたのが始まりとされている。1リーグ時代はシーズン終了後に行われていた。
2リーグ制になった1950年は実施されず、1951年からセントラル・リーグとパシフィック・リーグの対抗方式で実施されている。シーズン終了後は日本シリーズが行われることから、時期を夏場に移しての開催となっている。
スタート当初は年度により2試合と3試合とでばらつきがあったが、1960年代以降は3試合で定着してきた。しかし、MLBオールスターが年1試合なのに対し、日本の3試合は多いのではないかという日本プロ野球選手会側からの要望もあり、1989年以降は原則2試合となった。但し基本的に夏季オリンピック開催年については3試合を維持した上で、第3戦を地方で開催することとなり、1992年の宮城球場を皮切りに地方開催が実施されるようになった。2001年を最後に3試合制は原則として消滅し、翌年以降は完全2試合制となり、隔年で2試合のうち1試合(原則第2戦)を地方開催することとなった。
開催に際しては12球団持ち回りで開催権が与えられ、基本的にその球団の本拠地(専用球場)で開催となるが、地方開催の場合は日本野球機構(NPB)が直接開催権を持ち、セ・パのどちらをホームとし、どの球団が運営要員を派遣するかはそれまでの開催実績を元に決定される。また、かつてはナイター開催が可能な照明設備を有する収容人員3万人以上の野球場での開催が義務付けられていたため、以前近鉄バファローズが藤井寺球場と日本生命球場を本拠にしていた頃、藤井寺は当時照明設備がなく、日生は収容人員が2万人強と規定を満たしていなかったため、近鉄が主管球団となった1959年・1967年・1973年・1979年は南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の本拠地・大阪球場で振り替えて開催した。またロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が1973年から1977年の間、宮城球場をフランチャイズとしていた5年間はロッテの主管試合は開催されなかった。理由は宮城球場のキャパシティが上述の3万人以上収容の規定に満たなかったことや、周辺施設の問題による。なお、2002年大会の第2戦は広島東洋カープが開催権を持つ順番だったが、ゲームが開催されたのは広島市民球場ではなく松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)であり、地方開催のため広島球団ではなくNPBが主催の上、運営要員は広島を中心にセ各球団から派遣された。また2008年より試合前の公式練習では、出場選手・コーチ陣はミズノ提供によるプラクティスユニフォームを着用している。
オールスターゲームにおいてはかつて、真剣勝負を「直球勝負」と曲解する風潮があった。そのため投手が直球を多投する光景が多く見られ「オールスターでは変化球を投げづらい」「真の真剣勝負が見られない」などといった意見もあった。
2009年には、プロ野球実行委員会において「交流戦があって、価値が薄れている」とテレビ視聴率が低迷している現状から、オールスターゲームそのものの見直しが検討された。オールスターゲームはNPBの基幹収益事業の一つで、毎年多くの観客を集め多額の収益をもたらしているが、その一方で、かつては推定2億円近くに及んだ地上波テレビ中継の放映権料が、近年は視聴率低迷もあいまって下落の一途をたどっている。また、冠スポンサーも三洋電機の撤退以来、長期契約を希望する企業が未だ現れず、こうした要因から既に収益が頭打ちとなっている側面がある。2010年は予定通り開催され、2011年についても予定通りの開催が決まっているが、オーナー会議や実行委員会では今後のオールスターゲームの開催方法について審議を継続している。オールスターゲームの収益は選手年金の資金に充てられるため、財源確保のための試合増も検討されている。<wikipediaより>

与田剛さんも2回オールスターゲームに出場しているんですよね。
オールスターゲームというとファン投票により、外野手のみ上位3名まで、その他のポジションについては1位の選手が選出されるんですが、選手間投票や翌日発表の監督推薦でも選ばれるんですよね^^;
なので投票では落ちてしまった選手でも監督の推薦があれば出ることが可能ということです。
まぁ監督推薦や選手間の方が良い選手が選ばれるというのもありますけどね・・・(ファン投票はファンの基準ですし)
あと投手の枠は先発中継ぎ抑えと1つずつしかないため正直監督推薦ではないと難しいみたいですね^^;
その中から2回選ばれた与田剛てすごいと思います。

では次回更新もお楽しみにー御機嫌よう

1 件のコメント:

  1. オールスターゲームて昔は良かったですよね~
    与田剛さんが出場していた年くらいが一番盛り上がっていたと思います。

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