2011年3月10日木曜日

与田剛の歴史

皆さんご無沙汰しています。今日の与田剛ファンの気まぐれブログは与田剛の歴史ということで与田剛さんの歴史をみていきましょう。

与田 剛(よだ つよし、1965年12月4日 - )は、福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手)。2000年の登録名は「与田 剛士」(読み同じ)。現在はNHK野球解説者、東京中日スポーツ野球評論家。社会人野球チーム「サウザンリーフ市原」の投手コーチ、NTT東京時代に150km/hを超える剛速球が注目され、全日本代表メンバーに抜擢。1989年度ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。1年目の1990年、初登板は開幕戦となる4月7日横浜大洋ホエールズ戦、同点延長の11回表無死1、3塁のピンチでのリリーフ登板であったが2つの三振を含む無失点に抑えた[1]。その後も抑えとして活躍し、オールスターにもファン投票で選出、新人では史上最多となる31セーブを挙げ、新人王と最優秀救援投手を獲得した。8月15日の広島戦(広島市民球場)では157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速記録になっている。その剛速球と名前から剛球投手と呼ばれた。引退後は、2001年よりNHK野球解説者の傍ら、千葉県社会人野球チームサウザンリーフ市原の投手コーチを務めている。また、全日本女子野球チームの投手コーチも務めた。2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表投手コーチ(ブルペン担当)として、大会2連覇に貢献した。〈wikipediaより〉

与田剛さんて大学出たあとにNTT東京にいたんですね、知りませんでした・・・。
私は与田剛さんがオールスターに出ていたのはすごいと思いましたね。あれ全球団選手の中から投票数で選ばれるんで、倍率は高い方なんですけど出れるなんてすごいですよ本当。

では次回更新まで皆さんさようなら~

1 件のコメント:

  1. 私も大学から入ってたと思ってたんですけど、与田剛さんて社会人から入ってたんですね

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