2013年12月1日日曜日

与田剛さんの現役時代

今はメジャーリーグ放送の解説やWBC日本代表チームの投手コーチを務めている与田剛さん。40代以上のプロ野球ファンなら知らない人はいない存在ですが、最近の若い方はあまりご存じではないかも知れません。検索すると「与田剛の現役時代が凄い」なんていう中年ファンなら苦笑モノの掲示板のスレッドが出てきたりして、まだ与田剛さんのダイナミックな投球が脳裏に焼き付いているファンとしては、「昔話」扱いされるのは悲しい限り。そこで、われらが与田剛さんについて知っていただきたいと思い、この場を借りてご紹介します。

まず、与田剛さんは1989年に中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けてNTT東京からプロ入り(もう24年も前のことなんですね・・・)。翌年の開幕戦でいきなりリリーフで初登板、相手は横浜(現DeNA)。延長11回表ノーアウト一、三塁というピンチを、与田剛さんは150km/hの剛速球で2三振を奪い無失点で切り抜けます。このときまでさほど注目されていなかったものの、与田さんはたった一日でその名を轟かせたのでした。

これを機に中日の星野監督は与田さんをクローザー(当時日本でははそんな言葉は使ってなかったかな?)に指名。与田さんも期待に応え続け、6月に早くも二桁セーブに到達。当然のようにオールスターにもファン投票で選ばれました。この年、最終的に与田剛さんがあげたセーブは31。新人最多どころかこの年の最多セーブ獲得者となり、与田さんは新人王とファイアマン賞を同時受賞したのでした。

ただ、今でこそクローザーは最後の1イニングを締めくくるだけですが、当時は早ければ7回から投げることもあり、そのせいもあって登板過多のクローザーは故障しがちでした。与田剛さんも例外ではなく、50試合に投げて投球回数は88イニング。1試合平均1.7イニングですから、「イニングまたぎ」は当たり前のようにあったことが分かります。結果、肩や肘を壊してしまい、翌年は29試合の登板でわずか2セーブ。翌年に23セーブをあげて復活を印象付けますが、その後は故障のせいで満足な投球ができず、1996年シーズン中に千葉ロッテにトレード。千葉ロッテは一軍登板のないまま自由契約となり、その後日本ハム、阪神と移籍しますが、もう新人時代の輝きは戻ってきませんでした。

与田剛さんが公式戦で記録した157km/hは、その後、伊良部秀輝投手らに更新されるまで日本人最速の記録でした。今ではダルビッシュ有投手や田中将大投手らがごく普通に150km/hの速球を投げますが、90年代前半では異次元のスピードと言ってもいいくらい、与田剛さんの球は圧倒的な速さでした。わずか一年、風のように駆け抜けたキャリアでしたが、40歳以上のプロ野球ファンならば、中日ファンでなくても全員が与田剛さんの名前を憶えているはずです。そのくらい、与田剛さんの与えた日本プロ野球におけるインパクトはとてつもなかったのです。





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