2013年12月10日火曜日

与田剛さんと1990年のプロ野球

皆さんこんにちは。今回は与田剛さんがデビューし、新人王を獲得した1990年のプロ野球を振り返ります。1990年といえば平成2年。まだ新しい元号になって間もない年でしたが、日本のプロ野球は様々な出来事がありました。

まずいきなり開幕戦の巨人対ヤクルトでひと悶着。8回表、3対1で2点差を追う巨人は1アウト2塁で打席に篠塚利夫。篠塚がヤクルト内藤尚行投手からライトスタンドに放った打球はポール際の当たりでしたが、一塁塁審はホームランと判定します。「ファウルだろう!」というヤクルト野村監督の猛抗議にも判定は覆らず。これで同点に追いついた巨人は延長で勝利し、篠塚の一打は「疑惑のホームラン」としてヤクルトファンの脳裏に刻みこまれたのでした。(後に篠塚自らが「ファウルでしたね」と告白しています)。

いっぽう開幕戦では与田剛さんがデビュー。150km/h超の速球で三振を奪い、観客の度胆を抜きます。本来ならこの年の新人投手は与田さんが一番注目を集めたはずですが、残念ながらそうではありませんでした。何しろ、あの野茂英雄投手が同じ年にデビューしたのです。

野茂は開幕から先発ローテーション入りしていたものの勝ち星には恵まれず、初勝利は4月29日。しかし、初勝利の試合で野茂は17個の三振を奪い、当時のプロ野球タイ記録をマークするという怪物ぶりを見せつけます。

セントラル与田、パシフィック野茂。この二人の新人離れしたルーキーは、オールスターで両軍の先発投手として激突します。立ち上がりこそ両投手とも好調でしたが、与田さんは西武の清原和博に、野茂は中日の落合博満に、ともにホームランを浴びて試合は打撃戦に。結果、12対7でパシフィックが勝利を収めました。

東京ドームで天井スピーカーを直撃する「認定本塁打」が生まれたのもこの年。近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハム戦で記録します。

8月2日の近鉄対オリックス戦は、大阪球場で行われた最後のプロ野球公式戦となりました。近鉄は2005年に球団が消滅、オリックスは翌年ホームグラウンドをグリーンスタジアム神戸に移転します。南海ホークスの本拠地として長年親しまれた大阪球場は、その後住宅展示場になり、現在ではショッピングセンターとオフィスビルになっています。

ペナントレースはあっさり決着がついてしまいました。セントラルは88勝42敗、2位広島に22ゲーム差と、他チームを完全に圧倒した巨人が9月8日に史上最速のリーグ優勝を決めます。パシフィックも西武が2位に12ゲーム差をつけて優勝。強豪同士の熱戦が期待された日本シリーズは、西武が4連勝であっけなく優勝してしまいました。与田剛さんの中日は62勝68敗で4位。与田さんは4勝31セーブを記録していたので、中日の62勝中半分以上の35勝に貢献したことになります。

セの新人王は文句なしで与田剛さん。とはいえ、やはりこの年のプロ野球は野茂に始まり野茂に終わったと言っても良いくらい、野茂一色でした。野茂が獲得したタイトルは、まず投手記録でパ・リーグの最多勝(18勝)、最多奪三振(287個)、最高勝率(.692)、そして投票によって選ばれるリーグ表彰でMVP、新人王、ベストナインまでさらっていってしまったのでした。

この年、与田さん、野茂というニュースターに主役の座を譲るように、ロッテの村田兆治投手が現役引退。引退試合では若林忠志(1949年)以来2人目となる40歳代での2桁勝利を記録しています。


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